《ブラジル》記者コラム=魂が洗われる瞬間に立ち会う=天国で先人が微笑む歴史的な日=政府謝罪が実現した意義とは
「魂が洗われた」経験
首都からの帰りのバスで一言ずつ感想をマイクでしゃべった際、多くの参加者から「恩赦委員会の最中に涙を流していた」との証言が語られ、一様に「魂が洗われた(Alma Lavada)」と表現していた。この言葉は、まさに記者が感じていた感情を的確に表現している。 謝罪により日系社会が長年抱えてきた集団的トラウマの一部が癒された感じがする。改めて、謝罪請求運動を始めた奥原マリオ純さん、強力なパートナーとして後押しした沖縄県人会の皆さんに心から感謝したい。 1世や2世が抱えてきた80年前の精神的なトラウマを、新しい3世や4世の世代が客観的に見て現代史に書き加えることで、ブラジル社会全体の記憶として定着化させ、戦争に関わる間違いを二度と起こさせない「社会的な記憶定着」という運動にこれから向かう気がする。その意味で、ずっと密着取材・撮影していた松林監督の次回作は、それを広く定着させる役割があるかもしれない。 あの時、会場に降りてきていた先人たちの魂も洗われ、喜んで天に戻っていっただろうと夢想した。今後、BIGENの「島人ぬ宝」(当日の「島人ぬ宝」の演奏、5)を聞くたびに、あの時の感情が蘇りそうだ。(深)