ギャル芸人・エルフ荒川「空手が学校以外の自分の居場所になっていた」救われた幼少期
お笑いコンビ・エルフの荒川さんは、自身がギャルであることを生かした「ギャルあるある」ネタでブレイク「女芸人No.1決定戦 THE W」では2年連続で最終決戦進出を果たすなど、テレビや舞台で活躍している。そんな荒川さんは小学生時代、「忙しく働く両親に迷惑をかけてはいけないと思っていた」と明かす。家庭での寂しさや、学校の友達関係の悩みもあったが、当時の荒川さんには心のよりどころになっていた「もう一つの居場所」があったそうだ。子ども時代に抱えていた思い、そして今の荒川さんが考える「居場所」について聞いた。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice)
「親にお金を使わせたらいけない」迷惑をかけないようにした子ども時代
――荒川さんはギャル芸人として活動していますが、自分がギャルだと自覚したのはいつ頃だったのですか。 エルフ荒川: 生まれた時からですかね。小さい頃から見た目が派手な人が好きだったし、かわいいと思っていました。私の地元の友達、先輩、後輩みんなギャルだったので、ギャルが一番かわいいものだと思って生きてきたので、自然とそうなっていましたね。だから、「メイクちょっと濃いめだね」と言われたりすると、「え!そうなんや」という感じでした。 ――幼少期はどのように育ったのでしょうか? エルフ荒川: 家はすごく楽しかったんですけど、あまりきれいで裕福な家ではなかったので「両親に迷惑をかけないようにしよう」といつも考えていましたね。うちは共働きで、お母さんが日勤や夜勤に出ていたことをよく覚えています。だから「私もパーマ当ててみたい」と言いたくても、「お金かかるから無理言えないよね」と思ったりしていました。別にいい子ぶっていたわけではないんですけど、3人姉妹の一番上なんで勝手に気を遣ってましたね。その意味では、「ちょっと辛いな」と感じる夜もあったり無かったり(笑)。 ――どんな親御さんだったのですか。 エルフ荒川: 母親は、ノリがすごくギャルなんですよね。実家が少し古いので、ある日お母さんが床を片足でバーンと踏み抜いちゃったことがあって「ギャー!」と叫んだんですよね。「えー!お母さん大丈夫?」と駆けつけると、右足が床にはまったまま「イエーイ!無傷でーす」とか言って(笑)。そんなハプニングもお母さんが全部笑いに変えてくれていました。私達にはいつも「見た目に気を遣いなさい」とか「やりたいことはやっていいんだよ」と言ってくれていたので感謝しています。 ――親御さんが共働きで寂しく感じることはなかったですか。 エルフ荒川: 私はお母さんが大好きだったので、夜勤に行く背中を見るのが少し寂しかったですね。そんな時は家で妹達と遊びを考えたりして過ごしていました。 だから、家族みんなで楽しく過ごせるクリスマスなどのイベントが大好きだったんですよね。そういう時にしかショートケーキが出てこないから、子どもの頃はおいしいと思ってたんです。でも、大人になってから「あれ、そんなにショートケーキが好きじゃないかも」と、楽しい時に食べるから好きだったことに気がつきました。ダウンタウンの浜田さんが歌っていた「チキンライス」という曲に、「七面鳥はやっぱり照れる 俺はまだまだチキンライスでいいや」という歌詞があるんですけど、あれマジで吉本芸人で私が一番泣いてると思う。あの歌にはマジ感謝ですね。 ――今はお忙しいと思いますが、家族に会う時間や休む時間は取れていますか。 エルフ荒川: ずっとちゃんとした休みを取れてなかったのですが、この間たまたま連休をいただける機会があって、その時にお母さんが初めて東京に来てくれたんです。その時は、心が落ち着きましたね。おかげでなんとか心に余裕を取り戻すことができた感じです。 私、子どもの頃はお母さんのことが好きすぎて、自分の友達が泊まりに来ている時に、お母さんが別の階で寝ることになっただけで泣いてましたからね(笑)。そんな人間が「3年もお母さんと離れてよくやってるわ」と思います。