ハンセン病患者・回復者らが絵に込めた、命懸けの表現とは。強制隔離下での絵画史100年を伝える展覧会をレポート
2024年3月から国立ハンセン病資料館で開催されている『絵ごころでつながるー多磨全生園絵画の100年』は、わずか一部屋の展示空間にたくさんの情報が詰め込まれた展覧会だ。 【画像】展示会場の模様
語られることのなかったハンセン病をめぐる差別
会場である国立ハンセン病資料館は、東京都東村山市にある国立療養所多磨全生園に隣接している。同園は、1909年に開院したハンセン病療養所で、2024年5月時点で94名の元患者(回復者)が入所している。 ハンセン病は、らい菌という病原菌による感染症だが、その感染力はきわめて弱く、現在では投薬と短期間の通院で治療可能な病気だ。だが、放浪するハンセン病患者を「文明国」にふさわしくないとし、強制収容の対象とした1907年の「癩予防ニ関スル件」の成立から、じつに1990年代半ばまで、患者・回復者たちを療養所に強制収容して社会から見えないようにする隔離政策が続けられてきた。 日本の近現代史には数えきれない闇の部分があるが、ハンセン病をめぐる差別も積極的に語られることのなかった、しかしだからこそ語るべき歴史の一つだ。 国立ハンセン病資料館では、2022年に患者・回復者らが自身の暮らしのためにつくった道具を紹介する企画展『生活のデザイン ハンセン病療養所における自助具、義肢、補装具とその使い手たち』、2023年には、戦後の「らい予防法闘争」のさなかに出版された合同詩集、大江満雄編、日本ライ・ニューエイジ詩集『いのちの芽』(三一書房、1953年)を取りあげた『ハンセン病文学の新生面 『いのちの芽』の詩人たち』などが開催された。それらに続く本展は、「絵画」という切り口で多磨全生園における表現史の100年を通覧している。 油彩画やドローイング、そして写真や書籍などの資料の総数は236点。1923年から2023年までの「絵画100年史」を紹介する試みは画期的で、既存の美術史に一石を投じる批評の鋭さがある。そして、非常に多視点的でもある。取りあげるべき、考えるべきトピックは無数にあるにもかかわらず、取材から数か月を経た現時点においても、どこから手をつけるべきか、どのような記述の方法がありうるのかと、私は戸惑い続けている。 まずは本展担当者である吉國元へのインタビューや、展示内容を訥々と描き出すことから始めてみよう。