子どもの遊びに必要な「無意味性」と「主体性」 --目的がないからこそ身に付く能力
■「スポーツは向上しないといけない」の思い込み 為末:海外では、子どもが自然と外遊びできるような仕組みがありますよね。ヨーロッパには、地域クラブのようなものがあって、そこには外遊びに誘ってくれるボランティアの方がいます。 そこでは「ドリブルの練習をしよう」ではなくて、ただ子どもたちにボールを渡して、それを蹴って遊ぶだけなんです。 窪田:まさに遊びの要素ですね。 為末:そこで言われたのが、「スポーツをしたいだけだったら、なぜトレーニングする必要があるのか」ということでした。キャンプをするときに、キャンプのトレーニングはしないですよね。
それなのに、なぜかスポーツだけは「向上しなければならない」という強い思い込みがある。その思い込みがなければ、ただプレーをして遊んで帰ればいいだけなんです。 窪田:目的なく、ただ楽しめばいい。その考えが広まれば、もっと子どもたちがスポーツを楽しめそうです。スポーツをする「play」と、遊びの「play」は同じ単語ですからね。 為末:窪田先生はアメリカで子育てをされましたが、外遊びの環境はどうでしたか?
窪田:アメリカは公園やレクリエーションセンターがたくさんあるので、外遊びが当たり前にできる環境でした。ボランティアも充実していて、放課後には親が交代で校庭に立ち、子どもたちが危ない目に遭わないように見守っていました。 為末:地域全体で子どもを守る文化が根付いているんですね。 窪田:子どもから目を離すことが許されない社会というか。安全上、絶対に子どもを1人にさせないことが徹底されていました。 だから、子どもたちは自然と外にいる時間が長くなる。その環境のおかげもあり、アメリカでは子どもたちの近視の有病率が低いんです。
為末:それをお聞きすると、やはり日本の都市部で外遊びができない問題は深刻だと感じます。 ■スポーツ選手は近視になりにくいのか 窪田:最近の研究でも、屋外での活動が近視を抑制することがわかってきました。為末さんはスポーツ選手との接点が多いと思いますが、実際に外で競技をしている選手に近視の人は少ないと思いますか? 為末:どうなんでしょう(笑)。調べたことがないので、正確な数字はわからないのですが、もともと競技のパフォーマンスに影響するので、近視は少ない傾向にあるかもしれません。あくまで私の肌感覚ですが、一般の人よりは少ないのではないかと思います。