反則タックル出場停止処分を経て2年ぶり公式戦で圧勝再出発した日大アメフット部の何がどう変わったか?
高圧的にチームを支配していた内田前監督が去り、公募により決まった橋詰氏を監督に迎えた新チームは「選手ファースト」を基本に自主性を重んじるチーム改革に乗り出した。新しいチーム運営システムは、選手たちが考えて作った。 146人の部員を束ねるキャプテンの贄田が説明する。 「曖昧だったリーダー職を各分野に置いたんです」 主将に3人の副将、4年生の幹部、総務、オフェンス、ディフェンスのそれぞれのパートリーダー、ウエートトレのリーダーだけでなく、私生活管理の分野でも、クラブハウスのリーダー、寮のリーダー、掃除のリーダー、地域への社会貢献として、朝練を行う早朝に練習グラウンド近辺道路の自転車の交通整理係まで作った。 「選手に責任を分散して各自に権限を持たせることで、監督、コーチからの一方通行ではない、ネットワークを作った。そのことで、監督、コーチとの解釈の違いや、すれ違いがなくなっている。僕らの代だけではなく、ずっと強くあり続けるフェニックスのシステムを構築しておきたかったんです」 試合のできない間、チームは空中分解の危機も迎えたが、贄田は、モチベーションを維持するための働きかけを熱心に続けた。 「なぜフェニックスに入ったのか。なぜアメフトをしたいのか。アメフトをその後の人生にどう役立てるのか。胸を張って社会に出るtめのは何をするのか」 ミーティングで根源的な話を何度も持ち出した。 サイドラインには、反則タックルの当事者である宮川が、背番号「91」のジャージを着てスタイルしたまま声を出し、記録を付ける裏方役に徹していた。副将に任命されている。一度は退部の意向を示したが、橋詰監督から熱心に復帰を誘われ、「何もしないことは無責任」と感じてチームに戻った。昨年5月の関学との定期戦での危険なタックル行為を告訴され、傷害罪で書類送検されたが、まだ検察の最終判断が決定していない。そのため大学側が出場を自粛させている。 同じ理由で、この日、取材対応もしなかったが、いつでも出場できる準備は整っているという。 同じ4年の贄田は、「宮川には僕らがケツを叩かれ、逆にフォローされているイメージです。たとえ、あいつが出られなくとも勝たないといけない。何があっても最低全勝。あいつも頑張っています」と語った。検察の判断が出た時点で宮川は出場解禁となるが、それがいつになるか未定でもフェニックスのメンバーは宮川と共に戦っている。