伝説的ギタリスト、ジミー・ペイジになりきって全米スターになった日本人の物語
ギタリストのジミー・ペイジにほれ込み、彼になりきることに人生を懸け、ついには全米ツアーまで敢行した日本人、それがジミー桜井だ。そんな彼の半生を追ったドキュメンタリー映画が日本で公開される。その"狂気"はどのように生まれたのか。本人に直撃! 【写真】若き日のジミー・ペイジ * * * ■ジミー・ペイジ本人に認められた ――まずは自己紹介をお願いします。 ジミー桜井(以下、桜井) 1970年代から80年代の音楽シーンを変えたスーパーバンドである「レッド・ツェッペリン」(以下、ツェッペリン)のギタリスト、ジミー・ペイジを完全再現することを目標としてギターをプレイしています。 10年ほど前まではサラリーマンとミュージシャンを兼業していましたが、現在はプロのギタリスト一本で生活しています。 ――桜井さんのジミー・ペイジ歴は? 桜井 17歳から始めて今年で44年目。途中、ブランクもあるのでトータルで考えると40年くらいでしょうか。 ――ツェッペリンの活動期間は10年程度ですから、ジミー・ペイジ本人よりも長く、「ツェッペリンのジミー・ペイジ」をやっている計算になりますね。 桜井 そうなんです(笑)。彼らの代表曲である『天国への階段』(71年)なんかは、おそらく本人よりも演奏した回数は多いと思いますね。 ――しかも桜井さんの演奏はジミー・ペイジ本人の折り紙付きとか。 桜井 彼が2012年にプロモーションで来日した際、わざわざ僕のライブに足を運んでくれたんです。しかも2時間のライブを最後まで見てくれて、「話がしたい」とまでおっしゃってくれました。まさかこんな経験ができるとは想像もしてなかったですね。 ――現在、桜井さんは日本のみならずアメリカでも活動なされています。
桜井 自分がやっているツェッペリンのトリビュートバンド「MR.JIMMY」は日本、アメリカなどで公演しています。アメリカではもう一組のバンドに在籍していて、それがジェイソン・ボーナムによるツェッペリンのトリビュートバンド「Jason Bonham's Led Zeppelin Evening(ジェイソン ボーナムズ レッド ツェッペリン イブニング)」(以下、JBLZE)です。 ジェイソンはツェッペリンのドラマーだった故ジョン・ボーナムの息子で、88年、07年のツェッペリン再結成ライブでドラムを担当していました。 ――いわば本家ツェッペリンのメンバーと一緒に活動することになってしまった。 桜井 まさかこんなことになるとは思ってもいませんでした。昨年も11月中旬から1ヵ月ほどジェイソンと一緒にアメリカをツアーして回ったのですが、彼の横でギターを弾くのはすごく不思議な気分です。その立ち位置はかつてジミー・ペイジがプレイしていた場所ですからね。 ■ギター、衣装、髪型。全部なりきる ――ドキュメンタリー映画の中でも触れられていますが、桜井さんのジミー・ペイジに対する探究心は強烈ですね。まさかジミー・ペイジが使っていたのと同じ年代のビンテージ機材まで持っていらっしゃるとは。 桜井 僕はずうっとジミー・ペイジになりたい、ツェッペリンになりたいと思って生きてきた人間ですから、彼が使用していたものと同じ年代の機材を使わないと彼には近づけないと考えたんです。 ジミー・ペイジはギブソン社のレスポール・スタンダード59年製、ギターアンプはマーシャル社のスーパーリード100の69年製をメインで使用していたので、それと同年代のものを使用しています。 ――ビンテージのレスポールは、今では郊外でマンションが買えてしまうほどの価値がありますね。 桜井 買った当時は今よりも安かったです。とはいえ、高額の品。僕はお金持ちではありません。新潟県の十日町(とおかまち)市出身の上京組ですし。だから長期のローンを組ませてもらって、どうにか手に入れたんです。 ただ、いざ弾いてみたら壁にぶち当たった。同じ機材なのにジミー・ペイジと同じ音が出ないんです。いまだに改造を繰り返していますよ。 ――改造しちゃうと、ビンテージギターの価値が下がってしまうのでは?