伝説的ギタリスト、ジミー・ペイジになりきって全米スターになった日本人の物語
桜井 でしょうね。でもこれはあくまでジミー・ペイジの音を出すための道具ですから。骨董(こっとう)品的価値は関係ありませんね。 自分のバンド「MR.JIMMY」では73年の米国マディソン・スクエア・ガーデン公演、75年の英国アールズ・コート公演など各年代のツェッペリンの演奏を再現しています。ジミー・ペイジのギターの弾き方は年代によって違うので、すべてのツェッペリンのアルバム、ライブアルバム、さらにライブ音源をすべて聴いて、彼のフレーズを詳細に研究していますよ。 ――こだわりは衣装にも反映されているとか? 桜井 各年代のライブをやるということは、各年代の衣装も再現しなければならない。ジミー・ペイジのライブ映像や写真から衣装の形、生地の色や質感、刺繍(ししゅう)の技術を解析して、なるべくそっくりそのまま作ってもらっています。 ――桜井さんの探究心は"狂気"ともいえますね。 桜井 僕はツェッペリンを映画や舞台のような総合芸術だと思っています。いわば僕はジミー・ペイジ役の俳優ですね。 俳優はその役になりきらないといけない。そのためには同じ髪型にして、同じ衣装を着て、同じギターと機材を持って、同じアクションで同じ演奏をしなければならない。これが僕の信念なんです。 ――それが今のアメリカでの評価にもつながっている? 桜井 でしょうね。「まるでジミー・ペイジがよみがえったみたいだ!」と反響をくれるお客さまもいますし、JBLZEで一緒に演奏しているジェイソンが目頭を押さえるようなしぐさをしてくれたこともありました。ジミー・ペイジのプレイを完全再現することで、何かしらのマジックが生まれているのかもしれません。 ■17歳のときからずっと変わっていない ――先ほど桜井さんは「10年ほど前まではサラリーマンとミュージシャンを兼業していた」とおっしゃっていました。サラリーマンを辞めたのは、アメリカのバンドから加入を要請されたことがきっかけだったそうですね。 桜井 誘われたのは、ちょうど50歳くらいの頃ですね。本業の仕事は順調でしたし、かなり迷いました。でもそんなとき、妻がこう言ってくれたんです。 「今のままでいいのか? アメリカのバンドから依頼が来るなんてことはめったにない。このチャンスを逃していいのか?」 その言葉が響きましてね。渡米の決意をしました。ま、英語はあまりしゃべれないんですけどね。 ――それは今も?