騙されて「インドで出稼ぎ売春」したのに帰国後は「醜業婦」と蔑まれた26歳女性…明治時代の「からゆきさん」を探る
日本が「稼げない国」になったここ数年、日本人女性が「海外出稼ぎ売春」を行っているという報道が増えた。中国のマカオ、韓国といった近隣国から、米国、カナダ、オーストラリアなど出稼ぎ先は様々だ。実際、今年の4月には出稼ぎ売春の斡旋をしたとしてデートクラブ運営会社社長が逮捕され、「3年間で200~300人を派遣した」と供述している。 【写真】狐憑きや犬神憑きなどの「呪い」を解く「拝み屋」を訪ねたら…『忘れられた日本史の現場を歩く』をもっと見る だが、実は日本人女性の海外出稼ぎは昔にもあったのだ。その代表格として知られるのが、「からゆきさん」だ。 ノンフィクション作家・八木澤高明さんが全国19ヵ所を歩き、日本の“裏面史”を迫力の写真とともに記録した『忘れられた日本史の現場を歩く』(辰巳出版)では、明治時代にインドへ身売りされた女性の足跡を追っている。この「からゆきさん」には、どんなストーリーがあったのだろうか。以下、同書より抜粋して紹介する。 ***
騙されてたどり着いたボンベイの地
明治から昭和の戦前にかけて、日本から主にアジアに出て体を売った女性はからゆきさんと呼ばれた。ちなみにアメリカで体を売った女性たちのことは、あめゆきさんと言った。当時、日本人の女性が海外で体を売ることは珍しいことではなかった。 主に、九州の天草が多くのからゆきさんを生んだことで知られているが、中国山地を抱える山口県や広島県もからゆきさんが少なくなかった。私は、マレーシアやインドネシア、ミャンマーなどでからゆきさんの墓を訪ねては手を合わせてきたこともあり、からゆきさんがどのような土地から旅立っていたのかは常に興味を持っている。 明治時代に山口県岩国市出身の女性がからゆきさんとしてインドのボンベイへ身売りされたという事実を知ったのは数年前のことだった。女性の名前は相川トナという。彼女の出身地は岩国市の阿品(あじな)というところだ。その集落は、岩国の人であっても、知らないような山の中にある。トナのことを知ったのは、北九州の門司(もじ)を訪ねたときに、『門司風俗志』という郷土史を読んだからだった。 その資料によれば、岩国市阿品出身の彼女は1907(明治40)年、23歳のときに岡山県の 紡績工場で働いていた。どこで知り合ったのか、門司の鎌田相吉とその内縁の妻に、清国の紡績工場で働けば、日本の三倍は稼ぐことができると持ちかけられ、門司へと誘われた。 その言葉に飛びついたトナは、十数日門司に滞在した後、同じように甘言につられた女性12人とともに石炭輸送船の船底に押し込められたのだった。 船が着いた先は香港で、そのまま現地の女郎屋に売り飛ばされ、香港からシンガポール、さらにはボンベイまでたどり着いた。ボンベイで現地の客との間に子どもができ出産。生まれた赤子は現地人に売り飛ばされてしまったという。その後トナはボンベイで救助され、三年ぶりに日本に帰ることができたのだった。 記事から、トナが日本に帰国したのは1910(明治43)年頃のことだった。その時代、日本は日露戦争に勝利し、政府や国民は日本を一等国と自負するにいたった。一方でアジア各地の色街で体を売るからゆさきさんは、醜業婦と蔑まれた。何ともアンバランスな、日本社会の現実をからゆさきんの姿は、くっきりと浮かび上がらせていた。