2024年の森保ジャパンは「15試合50得点」 圧倒的な結果をもたらした“3つのターニングポイント”とは
森保ジャパンの2024年は11月19日、アモイでの北中米W杯のアジア3次予選、対中国戦(3-1)で全日程を終えた。元日の親善試合、対タイ戦(5-0)に始まり、1~2月のアジアカップ5試合と、3月に再開されたW杯アジア2次予選3試合(北朝鮮とのアウェー1試合は没収試合で3-0の勝利)、そして9月から始まった3次予選の6試合、計15試合を戦い12勝1分け2敗という成績だ。【六川亨/サッカージャーナリスト】 【写真を見る】著者が得点感覚を評価しつつも、「時間帯によって“消えている”ことが多い」と指摘した選手とは ***
15試合で50得点10失点という圧倒的な数字の原動力は、大量得点で勝利したW杯アジア2次予選と3次予選のおかげであり、日本がアジアではいかに突出した破壊力を有していたかが一目瞭然である。 得点者の内訳は、1トップの上田綺世とインサイドハーフの南野拓実が7ゴールで最多スコアラーとなり、小川航基が6ゴールで続いている。ポジション的に当然といえば当然の結果だ。 南野は対戦相手によって、あるいは時間帯によって“消えている”ことが多いが、ゴールという結果を残しているだけに森保一監督の信頼も厚いことがうかがえる。 そして意外なことに指揮官はW杯予選9試合で32人もの選手を起用した。ほぼ固定されたメンバーで戦った印象が強いが、9試合すべてに出場したのはCB板倉滉ただひとり。主将の遠藤航も6月6日のヤンゴンでのミャンマー戦はベンチ入りしたものの出番はなかった。メンバーを固定しつつも、招集した大橋祐紀や古橋亨梧、川村拓夢、瀬古歩夢らには出場機会を与えて“ラージグループ”の拡充を図った。 そんな森保ジャパンの24年でターニングポイントとなった試合(大会)として、次の3つを取りあげたい。
アジアカップの苦い経験
まずは優勝候補に挙げられながら準決勝で敗退したアジアカップのイラク戦とイラン戦である。イラクにはグループリーグで、イランには準決勝(いずれも1-2)で敗退したが、彼らに限らずアジアカップで対戦した国々はどこもカウンターから日本ゴールを脅かそうとした。当然といえば当然の策である。 高い位置でボールを奪ったら、そのままドリブルで仕掛けるか、少し運んでから逆サイドに大きく展開してDF陣の背後を突く。これに対し、当時の日本は4-2-3-1か4-3-3を採用していたが、両アウトサイドでボールをロストした際に相手のカウンターを止めきれなかった。4-2-『3』-1と4-3―『3』の『3』のアウトサイドの選手が1対1で止めきれず突破を許していた。 「アジアでは負けるわけがない」とか「そんなに簡単に失点しないだろう」といった油断があったのだろう。カタールで開催された大会なので、中東勢とはモチベーションに差があったことも指摘できる。 そうした苦い経験を糧に、転機となったのが6月11日に広島で開催されたW杯2次予選のシリア戦(5-0)である。森保監督は2次予選の北朝鮮戦までは4-2-3-1を採用していたが、アウェーのミャンマー戦では3-4-3に変更。その際に『4』のウイングバックには菅原由勢と中村敬斗を起用し、前線の『3』の右に堂安律を配置した。