養老孟司86歳「医学部も解剖学に進んだのもすべてなりゆき。人生はくじみたいなものだけど、仕事でもなんでも、やらなきゃいけないことには意味がある」
解剖学者として、生と死に向き合ってきた養老孟司さん。自身の大病や愛猫との別れを経験した86歳のいま、日々感じていることとは(撮影=本社・奥西義和 構成=山田真理) 【写真】ユニークなデザインの養老さんの別荘 * * * * * * * ◆欲には限りがない 鎌倉の自宅と18年前に建てた箱根の別荘を、おおむね週の半分ずつ往復して暮らしています。 箱根には一人で行き、もっぱら昆虫の標本を作っているんです。70代までは、すすきの原っぱを抜け、イノシシの足跡が残るような山道で虫採りをしていたけど、体力が落ちてきたのでやめました。これまで国内外で採集した虫と、人に譲られた虫が大量にあるので、その整理のために生きているようなものです。(笑) やることは毎日山のようにあるから、朝目覚めたら「今日は何をするか」、頭の中で段取りを考えなきゃならない。まずやるのは、ホットプレートのスイッチを入れること。私が好きなゾウムシなどの小さな甲虫は紙に糊付けして標本にしますが、糊の湿気でカビが生えてしまわないようホットプレートで乾かすんです。 以前はタコ焼き用の安いのを使っていたんだけど、朝から晩まで点けっぱなしにしたら壊れたので、今はスープも作れるという高級なものを使っています(笑)。乾いたら針を刺して標本箱に並べますが、肢がとれたりすると面倒なことになるから、一つひとつ丁寧に。終わりがないので修行のよう。これでは寿命が足りませんよ。 好きなだけ時間が使えるのはいいのですが、細かい作業で肩がこるから用心して休んでは、外を散歩します。標高700メートルの場所なので夏は涼しくて快適だけれど、冬は寒くて散歩がおっくうになるのが困りもの。春になればなったで虫を採りたくなるし、欲には限りがないなと思います。 開業医の母が診療所兼自宅を建てた鎌倉は緑が多く、幼少時からよく虫採りをしたものでした。小学生のころ、裏山でミヤマクワガタを見つけたとき、心臓が口から飛び出すかと思うくらい胸が高鳴ったことを覚えています。 虫の面白さは、簡単に言語化できません。形や色も多様で、人間が作ろうとしたってできやしない。「この場所に行けば採れる」と思ってもダメで、思い通りにいかないところもまた面白いんです。
【関連記事】
- 養老孟司86歳「人の死をタブー視して覆い隠し、人工物だらけの世界を拡張させている現代社会。不安を排除ではなく、同居することを覚えていくのが成熟」
- 養老孟司『田んぼ?俺とは関係ない』と思っている今の子に伝えたい、自分の延長とは?戦後、薪割りや湯沸かしが私の仕事だった
- 養老孟司「人の致死率は100パーセント。歳を取って怒らなくなった。この先どうなるかはなりゆきだと思えるように」
- 養老孟司「結核で亡くなる朝、父はなぜ文鳥を放したのか。3000体の死体を見て、人生は些細な違いの寄せ集めだと感じるように」
- 養老孟司「〈知っている〉と〈わかる〉は違う。現代の私たちは自然から遠ざかり、身体的感覚を伴う〈わかる〉を忘れかけている」