養老孟司86歳「医学部も解剖学に進んだのもすべてなりゆき。人生はくじみたいなものだけど、仕事でもなんでも、やらなきゃいけないことには意味がある」
◆好きなことを続ける幸せ 子どものころから好きだった虫のことを、80代でも続けていられるのは幸せだと思いますね。本当は大学でも虫を勉強したかったのですが、当時、急病で寝込んでいた母から「医学部へ行くように」と懇願されてしまってね。 夫を早くに亡くし、開業医として家族を支えてきた母からすれば、医者なら時代がどうあれ食っていけるという思いがあったんでしょう。それで僕が折れた。 しかし、今になって思うと、虫の専門家にならなくてよかった。だって仕事のほかに、楽しみがなくなっちゃうからね(笑)。 それに学問の世界にも、その時々の社会情勢で求められる分野や流行がある。研究室を運営する予算を獲得するには、ある程度時流も意識せざるをえず、やりたい研究ができなかった可能性もあるわけです。 とはいえ、解剖医としての仕事を嫌々やっていたわけではありません。解剖学の研究室ではご遺体を病院や個人宅へ引き取りに行くことがあるのですが、「そんなのは自分の仕事じゃない」といって嫌う研究者もいます。
何かを「嫌だ」と感じることの半分は、「そんなものは無意味だ」という意識が入っている。しかしご遺体がなければ、解剖はできません。車で遺体を運び、ホルマリンを注入して浴槽で保管する作業からも、知ること、考えることはあった。 たとえば香典などの事務仕事でも、きっちり行うことによって、研究だけではわからないことをたくさん学んだと思います。 仕事でもなんでも、やらなきゃいけないことには意味がある。その意味は何かと考えて、どうしても必要だと思えば、それはもう好き嫌いの問題ではなく、やるしかないわけです。やっていくうちに、少しは好きになったり、面白がったりできるようになるのではないか。少なくとも僕は、そうやって仕事をしてきた気がします。 けれども、まあ、人間関係も含め大学の仕事に相当ストレスがあったのも確かでね。57歳で早期退官を決め、大学に行かなくていい朝を迎えたときは、嫌というほど空が青く明るく見えたし、女房は、毎日こんな空を見てきたのかと思ったものでした。(笑) 女房の幸せそうな時間ですか? 若いころから茶道に一生懸命です。傍から見ていて、茶道が身体を使った芸事であるとわかって面白い。畳の上で行うことの意味なども考えます。 茶碗は陶芸、掛軸は書や絵画といった美術にかかわるし、長く続けるほど奥が深いとわかってくるものでしょう。どこまで行っても終わりがないというのは、虫と同じで(笑)、幸福な趣味だと思います。 (構成=山田真理、撮影=本社・奥西義和)
養老孟司
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