養老孟司86歳「医学部も解剖学に進んだのもすべてなりゆき。人生はくじみたいなものだけど、仕事でもなんでも、やらなきゃいけないことには意味がある」
◆命の危機を乗り越えて 人生を振り返ると、結局は、孫悟空のようにお釈迦様の掌の上にいたんだなと感じます。若いうちは張り切って遠くまで飛んでいたつもりでも、気がつけば何のことはない、見知った世界でじたばたしていただけだったな、と。 僕は幼いころから、自分の意思で動いた記憶がほとんどありません。人生はくじみたいなもので、選択できる範囲はおのずと限られると思ってきた。医学部に進学したのも解剖学の道に進んだのも、すべてなりゆきですから。 ただ、運不運でいえば、僕は「運が良かった」と考えることにしているんです。もっと悪いことが起きていたかもしれない、事故にあって死んでいたかもしれない、というふうにね。戦争もあったけれど生き延びました。灯火管制中で街が真っ暗ななか、撃墜されたB29が頭上を落ちていった。燃える飛行機がきれいだと思ったのを覚えています。 生死にかかわる病気も何度か経験しました。戦争末期に東大病院へ入院。そんなご時勢に入院すること自体、命の危険が迫っていたということ。隣のベッドにいた子は手術の翌日に亡くなっていました。 82歳のとき、70キロあった体重が1年間で15キロほど減りました。いつもの体調と違うなにかを感じ、東大病院を受診。持病の糖尿病の悪化かがんかなと考えていたら、心筋梗塞と診断されたんです。緊急検査とステント治療を受けてICU(集中治療室)へ。 3日後、無事に一般病室に移りましたが、医師からは「ギリギリのタイミング。本当に強運です」と言われました。心臓に血液を送る大きな動脈が詰まっていて、完全に閉塞したら万事終わりだったと。 日常というのは「有り難いものではない」。あたりまえの日常を失って、はじめて有り難みを感じるものです。病気は、その契機になれば幸いと思えばいいのかもしれません。病院は相変わらず苦手ですが、昨日も大学病院の検診にちゃんと行ったんですよ。 年寄りなので、午前4時5時に目が覚める日もあるし、寝られるだけ寝て10時くらいに起きる日もあります。食べる量も減ってきました。 だいたい、腹いっぱい食べ過ぎるのもよくないと思う。僕らは食糧難の時代に育ったので、「お腹が空いたら食べる」というのがあたりまえの感覚。食べたくもないときに食べたって、美味しく感じられないでしょう。だから「自分の体の声」を聞いています。
【関連記事】
- 養老孟司86歳「人の死をタブー視して覆い隠し、人工物だらけの世界を拡張させている現代社会。不安を排除ではなく、同居することを覚えていくのが成熟」
- 養老孟司『田んぼ?俺とは関係ない』と思っている今の子に伝えたい、自分の延長とは?戦後、薪割りや湯沸かしが私の仕事だった
- 養老孟司「人の致死率は100パーセント。歳を取って怒らなくなった。この先どうなるかはなりゆきだと思えるように」
- 養老孟司「結核で亡くなる朝、父はなぜ文鳥を放したのか。3000体の死体を見て、人生は些細な違いの寄せ集めだと感じるように」
- 養老孟司「〈知っている〉と〈わかる〉は違う。現代の私たちは自然から遠ざかり、身体的感覚を伴う〈わかる〉を忘れかけている」