なぜ研究者は論理的でない手法を「なんとなくバカにしてしまう」のか…落合陽一が考える、「非論理的なこと」を排除せずに対話するために必要なこと
AIに代表される計算機技術の成熟とともに訪れる、新しい自然。デジタルデータと自然が融和し、そのどちらでもない自然に生まれ変わった自然・自然観を、落合陽一氏は「デジタルネイチャー」と名付けた。計算機と自然の様々な中庸状態を探るなかで、人の身体が制約から解放され、新たな制約を楽しむこともできる、という気づきの先にあるのが、xDiversity(クロス・ダイバーシティ)のプロジェクトだ。 【数学間違い探し】大学生でも間違える計算「40-16÷4÷2」の答えは? 技術の多様性と課題の多様性をクロスさせてどのような新しい価値を生み出すことができるのか――2023年に刊行された『xDiversityという可能性の挑戦』よりお届けする。
「非論理的なこと」を排除せずに対話するために
落合陽一です。アカデミック研究者になったのが2015年なので、もう7年もPI(Principal Investigator=研究室主宰者)をやっていることになります。様々なことを考えつづけると、論理的であるという価値観が世界の隅々まで覆っていくような気分になってきます。科学技術の触手を日々伸ばしつづけ、やがて世界が知性で接続される日を夢見るのは、コンピュータサイエンスで学位をとってその分野にどっぷりと浸かってきてしまったからでしょうか。 社会生活の中で、「論理的であること自体も多様な価値観の一つ」だと認め、「ロジックで通じない、エビデンスも関係ない、文脈や歴史も必要ないという価値観」があったとしてもそれを排除しないようにするのは、職業研究者の頭で生きていると、なかなか難しいことです。まるで信仰を否定されたような拒否反応が生じることもときにはあります。 研究者や、ロジックを使った仕事をしている多くの人が、論理的でない手法を、「なんとなくバカにする」ことで、論理の外で自分から遠ざけようとすることはよく分かりますが、それでは分断の問題は解決しにくくなってしまいます。 (ここでいう狭義の)反知性主義の指摘する社会的問題は重要ですが、(それだけではなく広義の)「非論理」「脱文脈」と対話する知性主義を、どうやって構築していくことができるかという問題には、考えるだけではなく実践や身体性も重要なのだろうと思いながら、今日も作家的に手を動かしています。 アーティストをしているとバイブスや右脳的な協調も重要だと思いますし、「正史」だけではない多様な文脈や「もしも」の可能性を探究しつづける豊かさもよく分かります。背反するいくつかの可能性を内包しながら思考停止や行動不能に陥らないために必要なのは作りつづけることなのだと信じてはいますが、それも安直な逃げなような。でも、逃げるとそのうち解けることもあるのかもしれません。 このような考えに至るには旅路があります。 その始まりはいつだろう――。 2017年ごろのことを思い出していました。そこから5年、xDiversity(クロス・ダイバーシティ)を始めて4年半が経ち落合CREST(※)はもうすぐ終わりを迎えます。研究はバンド活動だと気づかせてくれたのがこのCRESTの良いところで、良い共同研究者は家族のようなものですし、クロス・ダイバーシティはいいチームだと思います。 ※CREST=我が国が直面する重要な課題の克服に向けて、独創的で国際的に高い水準の目的基礎研究を推進し、社会・経済の変革をもたらす科学技術イノベーションに大きく寄与する、新たな科学知識に基づく創造的で卓越した革新的技術のシーズ(新技術シーズ)を創出することを目的とし、トップ研究者が率いる複数のベストチームが、チームに参加する若手研究者を育成しながら、研究を推進する。