安部裕葵のバルサ移籍決定の裏に本田兄弟
スペインの名門、FCバルセロナから完全移籍のオファーを受けていた日本代表MF安部裕葵(20)に関して、バルセロナと鹿島アントラーズの交渉が合意に達したことが12日、アントラーズから発表された。今後は現地バルセロナでのメディカルチェックをへて、正式契約が結ばれる。 かねてから海外志向が強かった安部はクラブ間合意を受けて、アントラーズの公式ホームページ上にコメントを、公式ツイッターにはインタビュー動画を掲載。ファン・サポーターへの感謝の思いと世界屈指の名門へ挑む覚悟を表明した。たとえば後者ではこんな言葉を残している。 「皆さまのサポートや声援、チームメイトやスタッフがいて、このタイミングで海外移籍という、挑戦するチャンスを与えられたと思っています。(中略)一生のなかでこういうタイミングというものは何回来るかわかりません。(中略)チャレンジする、ということ以外の選択肢はありませんでした」 瀬戸内高校(広島)から加入し、3年目の今シーズンからは「10番」を背負う安部にとって、バルセロナからのオファーは望外だったという。それでも若手中心で編成された森保ジャパンの一員としてコパ・アメリカを戦いながら、スペインの地で新たな一歩を踏み出す意思を固めた。 コパ・アメリカから帰国後に、移籍する意思をクラブ側へ伝えた。アントラーズの鈴木満常務取締役強化部長(62)は、結果的に安部のラストゲームとなった今月6日のジュビロ磐田戦後に「もう少しいろいろ頑張ります」と明言。安部を慰留していることを示唆していた。
安部本人も「僕一人のことではない。鹿島と僕と、そして相手チームがあることなので、そこは鹿島と僕の代理人に任せています」と去就に関して明言を避けた。そして、安部の意思を託された代理人が元日本代表MF本田圭佑の兄で、本田の代理人を務める弘幸氏(35)だ。 元サッカー選手だった弘幸氏は、名門・帝京高校(東京)でインターハイベスト8を経験。卒業後は南米アルゼンチンでプロになったが、大けがが原因で志半ばにして現役を引退。選手をサポートする道を歩み始め、2013年にFIFA公認エージェント資格を取得した。 弘幸氏が代表取締役を務めるマネジメント会社、HEROE株式会社の日本人クライアントには、海外組では本田の他に中山雄太(PECズヴォレ)と菅原由勢(AZアルクマール)、国内組では家長昭博や守田英正(ともに川崎フロンターレ)、西大伍(ヴィッセル神戸)らが名を連ねている。 HEROEのホームページの「ATHLETES」欄に、安部の名前と写真が加わったのは今年3月。おそらくはこのころに代理人契約を結んだと思われるが、安部と弘幸氏、そして本田との直接的あるいは間接的な出会いをさかのぼっていくと、安部の中学生時代に行き着く。 東京都出身の安部は、中学校へ進学した2011年春に東京都清瀬市を活動拠点とする帝京FCジュニアユースへ加入。3年生へ進級する直前にチームは本田のマネジメント事務所HONDA ESTILOの傘下となり、名称もS.T. FOOTBALL CLUBへと変わった。 HEROEのグループカンパニーにHONDA ESTILOが名前を連ねていることからも、安部と本田、そして弘幸氏のつながりが伝わってくる。もっとも、安部自身はチーム名称が変わる以前から、本田が歩んできた独自のサッカー人生や貫いてきた人生哲学の薫陶を色濃く受けてきた。 帝京FCジュニアユースの指導者が本田と懇意にしていたこともあり、間接的ながら本田イズムを何度も聞かされてきた。そのなかで最も印象に残っているのが、本田がよく口にするビッグマウスの理由だ。本田のような人間になりたい、という思いを込めて、安部はこんな言葉を残したことがある。 「とにかく夢をもって、それを周囲に言って、逃げ道をなくす。素晴らしいことだと思いましたし、同時に強い人間じゃなければできないことだと思いました」 チーム名称変更後は本田自身が練習場に足を運び、安部を含めたS.T. FOOTBALL CLUBの子どもたちへ「夢をもて」と檄を飛ばしたこともあった。卒団後の進学先として全国的には無名の瀬戸内高校を選んだのも、本田が言及した「夢をもて」と決して無関係ではなかったはずだ。