安部裕葵のバルサ移籍決定の裏に本田兄弟
両親の反対を押し切って瀬戸内高校へ越境入学したのは、プロになる夢をかなえるための近道だと安部自身が判断したからだ。安部が最上級生となる2016年に広島県がインターハイ開催地に決まっていた関係で、サッカーの出場枠も1増の2校になり、出場すれば関係者の目に留まりやすくなる。 年末年始の全国高校サッカー選手権に出場したことはなかったものの、瀬戸内高校は2011年から3年連続でインターハイに出場していた。青写真通りに地元開催のインターハイのピッチに立った安部は3ゴールをマーク。チームをベスト8に導き、アントラーズからのオファーを勝ち取った。 常勝軍団の一員になって2年半。ルーキーイヤーからJ1のピッチに立ち、若手中心とはいえ、無名の存在からフル代表にまで駆けあがった安部の胸中で、さらに大きな夢が膨らんできたのだろう。前出のアントラーズの公式ツイッター上で、安部はこんな言葉を紡いでいる。 「たった2年半でしたけど、僕が高校生のときを考えたら、いまの状況なんて考えられない。(中略)何があるかわからないので(どれくらい)時間(がかかるか)はわからないけど、いまの自分が想像できないような立ち位置にいるために、日々努力して成長しようと思っています」 メルボルン・ビクトリーFC(オーストラリア)の一員として、サンフレッチェ広島とのACLグループリーグを戦うために来日した今年3月。敗れはしたものの、一時は同点に追いつく凱旋ゴールを決めた試合後に、本田は後に続く若手への檄を込めてこんなメッセージを発している。 「日本人の若手へ僕がずっと『海外へ行け』と言っているのは、Jリーグに居座るのはまだ早いと思うからです。ドイツのブンデスリーガみたいに選手が国外へ移籍することなく、自国でプレーしていても十分にワールドカップを目指していけるようなリーグになるにはまだ時間がかかる。どう考えても海外へ打って出て、いろいろと経験を積んだほうが選手としては伸びるでしょうね」 バルセロナでは3部にあたるラ・リーガ2部Bに所属する、Bチームでプレーする。宿命のライバル、レアル・マドリードへ移籍したMF久保建英(18)と同じスタート地点から、スペインを代表するビッグクラブを舞台に、日本人にとっては未知の領域へのチャレンジが幕を開ける。 「これから直面するさまざまな困難や壁も、自分の成長には絶対に必要なことだと信じています。鹿島アントラーズというクラブで経験したすべてを糧に、これからも一日一日、一瞬一瞬を大切にして、フットボールと向き合っていきたい」 アントラーズの公式ホームページ上で、安部はこんな決意を綴っている。精彩を欠くことが多かった今シーズンの軌跡を振り返れば、平坦な道ではないことは誰よりも安部自身が理解している。それでもアントラーズを取り巻くすべての人々への感謝の思いを成長への意欲に変え、いまだに夢へ向けて突っ走る本田の背中を追いかけるように、日本代表の次代を担う20歳のホープが海をわたる。 (文責・藤江直人/スポーツライター)