「耳が聞こえない弟のぶんも頑張れ」障害のある弟をもつ「きょうだい児」東大卒弁護士が苦しんだプレッシャー「聞こえる自分が申し訳ない」
──お父さまはどのような方ですか。 藤木さん:父は苦労して司法試験に受かった人で、熱いタイプですね。幼いころから「俺の跡を継いで弁護士になれ」とうるさかったものの、それ以外は自由にさせてくれました。「女性も活躍するべきだ」とよく言っていて、「友達みたいなお父さん」という面もありました。そんな父に反発して、よくケンカした記憶があります。 ── ご両親や周囲の大人からかけられた言葉で、つらく感じたことはありますか。
藤木さん:弟といるとジロジロ見られたり、ひそひそ話をされたり…世間の冷たさは感じていました。あとは「弟のぶんも頑張ってね」とか、「弟の耳が聞こえないぶんの力は、お姉ちゃんにあるんだよ」という言葉は、励みにもなったけれど、同時に重くもありました。 ── 周囲からの期待の大きさは、お父さまが弁護士事務所を開所されていた影響も大きかったでしょうか。 藤木さん:そうですね。小さいころから父は私を連れて歩いていて、「お父さんの跡を継いで弁護士になるんでしょう?」と声をかけられたりすることも多くて。よくも悪くもそこから逃れられなかったんです。
── 学校では将来の夢を書く機会もあったと思いますが。 藤木さん:そういうときは「弁護士」と書いていましたが、夢というよりは宿題という感覚で。今思うと、弁護士の仕事がどういうものかわかっていなくて、「日本でいちばん難しい試験だから」とか、そういうイメージに縛られていたと思います。父からは「司法試験さえ受かれば、何をしてもいい」とか「弁護士にならないなら俺のほうが偉い」などと言われ続けていて、当時はやってやる!という気持ちになっていましたね。
■私がどんなに頑張っても、弟の耳が聞こえないのは変わらない ── 高校生のときに、海外留学を経験されています。 藤木さん:中学に入ると弟や親がイヤになってきて、家を出たいって欲求が強かったんです。私立の中高一貫校に通っていたんですが、たまたま友人が留学すると知って、そんな方法があるんだと。それで高校3年間、アメリカに留学していました。当時は、ファックスで母と文通を始めたりして、家族といい距離感が取れていたと思います。アメリカの大学に進学する話があったんですけど、やっぱり日本で、日本語で勉強したいと思って帰国しました。