「耳が聞こえない弟のぶんも頑張れ」障害のある弟をもつ「きょうだい児」東大卒弁護士が苦しんだプレッシャー「聞こえる自分が申し訳ない」
── 下のきょうだいに障害があると、上の子は「私がめんどうを見なきゃ」と思うことが多いかもしれません。藤木さんの場合は、障害があってもきょうだい同士は対等な立場という思いが強かったのでしょうか。 藤木さん:そうですね。漫画とかゲームとか、共通で楽しめるものの世界の中では対等だったというか。親がすごく重く捉えていた反面、私は耳が聞こえないことを軽く考えていたところがあったかも。でも、やっぱり弟が学校で苦労したり、親が苦労している様子を見ると、自分が耳が聞こえるのは申し訳ないという気持ちはありましたね。
■「後継ぎの弁護士になれ」父からの重すぎる期待 ── ご両親と藤木さんはどのような関係性でしたか。 藤木さん:わが家は母と弟がセット、父と私がセットでわかれていて。父は、「弟のぶんもお姉ちゃんが頑張れ」と教育熱心で、いつも中学受験のための塾に迎えに来てくれて。母は、弟に集中して手をかけられなくてごめんねっていう感じで、弟のぶんも頑張れとは言われたことはなかったです。むしろ母は、私がちょっと勉強ができて、弟とどんどん差が開くことを悲しく思っていたようで、「お姉ちゃんがこんなにできなくても…弟にわけてあげればいいのに」と。親心を考えると苦しいのはわかりますが、じゃあ自分はどうすればいいの?と悩みました。
──ご両親の意見が違うと、迷ってしまいますよね。 藤木さん:そうですね。とはいえ、そのあいだでどうにかバランスを取って生きてきたと思います。母は直接勉強を教えたりすることはなかったものの、受験のサポートはちゃんとしてくれていました。 ── きょうだい児は親からの注意が不足しがちとも言われますが、藤木さんは「お母さん、もっとこっち向いてよ!」という欲求はなかったですか。 藤木さん:当時はあまりなかったかもしれません。逆に、父が私にばかり期待することのほうが重圧で。今から思えば、そこは母に調整してほしかったという思いがあります。幼少期から私が家族の調整役を担っていた部分があったので。今は私は結婚して家を出て、実家には父と母と弟の3人で暮らしているので、母が調整役になってくれています。