就任1年目で甲子園ボウル制覇 立命館大学・高橋健太郎監督が振り返る大学時代、すべては「入学式事件」から始まった
「フットボールを楽しもう」の真意
今年のリーグ戦で関大に負けたあとに「フットボールを楽しもう」と言い始めたのは、当時の取り組み方も影響してると思います。 僕は監督就任当初から「楽しもう」って言いたいと思ってたんですけど、僕らの時代と若干、いまの学生たちの気質が違うところがあるので、「楽しむ」っていう言葉を言った時に「fun」でとらえてチャラチャラ、ワーっていくのが嫌だったんです。だからあえて就任当初は言ってなかった。 どっちかというと「これだけの環境を与えてもらってるんだから、感謝して期待に応えるように頑張ろうよ」と。ずっとプレッシャーをかけ続けてしまってたと思うし、僕自身にもそのプレッシャーをかけ続けてきたと思うんですね。負けたあと大学の森島理事長としゃべったときに「もっと楽しんだらどうや」みたいなことを言われてハッとしました。それで「伝え方を間違ったらアカンよなあ」と思ってたときに、(関学前監督の)鳥内さんのユーチューブで「enrichment(充実)」という言葉を使われてて「あ、これやな」と。「楽しむ」って言ったあとには勘違いしてほしくないから「充実感」とか「達成感」といった言葉をいつも付け足すようにしてます。春にあれだけしんどい練習をやって、楽しむ土台を作ってきていたので、間違って伝わることはないかなという思いもありました。結果的に「楽しもう」と言い始めたことが好循環を生んだと思ってます。
当初キャプテンに立候補するつもりはなかった
僕の大学時代の話に戻ります。3回生で日本一になって、そのときから3回生以下がチームの中心やったんで、ラストイヤーも「優勝間違いない」って言われてました。だからすごいプレッシャーがありましたね。「勝つために」とか「日本一になるための所作とは」とか説き出すと、がんじがらめになって「もう嫌や~」ってなりそうなメンバーばっかりやったんで、「自分らしくフットボールをやろう」というところに目標を置いたことで、あのやんちゃ軍団が同じところを向いて最後まで走り抜けたんじゃないかと思います。 キャプテンに最初に立候補したのはラインバッカーだった八木で、彼で決まりそうだったんです。僕は当初は手を挙げてませんでした。というのも入学式で「事件」を起こしたことがありまして(笑)。高3の2月からスポーツ推薦組は練習にずっと行ってたんで、そこで仲よくなってまして。関倉4人と産大4人と(宝塚東の)冷水で計9人です。その 9人が入学式の朝、早く着きすぎて会場の最前列にいて、前日も追い込んでたんで足を広げて寝たり、好きにしゃべってたり。まあ怒られましたね。そのときは何も考えてなかったんですね。見られてるとも思ってなかったし。「最前列の体デカいヤツ誰や。アメフトかラグビーやろ、やめさせろ」って話になって、9人全員、その日の昼にいったん退部になったんです。「もう来るな」と。 徐々に許されて戻っていったんですけど、鉄男なんかは半年ぐらいかかって……。何が言いたいかというと、あの入学式でパンサーズっていう組織がどういうものか分かったんです。当たり前に恵まれた環境があるっていう感覚がすごくあったんですけど、これだけ支えてくれてる人たちがいるっていうのに改めて気づけたし、その人たちに感謝の気持ちを持ってやっていかなアカンっていうのは、あのときに気づけました。あの9人の間では、事あるごとにしゃべってるんです。「あれがターニングポイントになったよね」って。そんなこともあって、僕はキャプテンに立候補してませんでした。 でも、そのやんちゃ組が「健太郎の明るいキャラクターでチームを変えて、楽しんでやっていきたい」ってずっと言ってて、最後はなんかだんだんそういう声が大きくなっていったんです。そしたら「明日の朝の時点で立候補してるヤツで決めよう」ってなった日に、鉄男が僕の下宿に「いいちこ」の瓶を2本持ってきて「お前が立候補するって言うまで俺は帰らん」って。それでお互いベロベロになって「まあ、やろか」みたいな話になりました(笑)。ギリギリで立候補して、キャプテンに選ばれました。そういう意味では彼とは腐れ縁ですよね。人生を変えてもらったと思いますし、Xリーグのパナソニックのコーチも彼が声をかけてくれて入ったし。そこでも荒木さんとの出会いがあって、「こういうキャラクターがおったらええなあ。一緒にやろうぜ」って言ってもらえて。パナのOBでもないのに入れてもらいました。