就任1年目で甲子園ボウル制覇 立命館大学・高橋健太郎監督が振り返る大学時代、すべては「入学式事件」から始まった
「別のスポーツで一花咲かせたろう」と野球からアメフトへ
大阪府茨木市で生まれ育って、小学校のころはボーイズリーグで野球してたんですけど、大人のケンカに巻き込まれて続けられなくなりました。同級生のライバルにはプロ野球の西武に行ったピッチャーの岡本篤志がいました。高校でもう一回野球やろうと思って、下半身を鍛えるために中学校の陸上部に入りました。でもどんどんガリガリになっていってしまって……。中2のときにライバルやった子たちがボーイズリーグで試合やってるのを見に行ったんですよ。そしたら筋肉の付き方が全然違ったんで、頑張り方を間違えたなと(笑)。それで高校で野球やるのはやめました。 中3のときに勉強に切り替えて、受けたのが私立の関西大倉やったんです。中学の社会の先生に池田先生っていう人がいて、その先生の甥(おい)っ子が当時の関倉のアメフト部のキャプテンで向井さんっていう方で、「甥っ子が関倉のアメフトで全国準優勝してん。お前は運動神経いいからアメフトやってみたら?」って言われまして。別のスポーツで一花咲かせたろうと思ってアメフト部の門をたたきました。 高3の春の大会で16人ぐらいしかいなかったです。試合が始まったらハーフタイムまで出っぱなし。オフェンスやってディフェンスやって、キッキングも全部やって。当時は関倉から推薦で5人ぐらい立命館に行ってたんですけど、枠が減るかもという話になって、森っていう超高校級のラインと飾磨、宮口っていう後にオールジャパン級になる3人が立命に決まってて、僕はどこからも声がかからなくて微妙なとこやったんですけど、最後の最後に古橋さんが来てくれて、「一緒にやらへんか」と声をかけてくれたのがきっかけで立命館に入りました。
ファーストシリーズにこだわる原体験
高校時代のオールスターチームのセレクションには根こそぎ落ちてまして。もう推薦は厳しいかなと思ってたんです。関倉の監督の岸本先生は僕が立命館に決まったとき、「お前は絶対レギュラーで出られへんから、途中でやめんなよ。マネージャーとかトレーナーとか、チームに貢献できる方法を考えて頑張れよ」と言われて。家に帰ったら両親ともめちゃくちゃ喜んでるんで、そんなこと言えないじゃないですか(笑)。だから1年、2年は体作りを中心にやろうと。通用しないにしても悪あがきしたろうと思って。1年目に4回生をつかまえて一緒に筋トレさせてもらいました。2回生の秋に先輩がけがをして、初戦にDB(ディフェンスバック)のスターターになったんです。そのゲームでインターセプトリターンタッチダウンを2回やったんです。それが僕のフットボール人生のターニングポイントになったかなと思います。 そのとき池上コーチに言われたのは「関学戦まで隠し玉でいくから」と。関学までは2本目、3本目でずっと出てて、関学戦でスターターになりました。高校の先輩でもある山中さんがキャプテンのときやったんで、山中さんと一緒に長くやりたいという思いがあったんですけど、分析をしすぎて「これや」と思ったプレーに食いついてしまって。自分の裏を取られてしまいました。ファーストシリーズのサードダウンショートやったんですけど、自陣40ydぐらいで。あれが勝負プレーやったと思うんですけど、僕の裏で通されて、そのシリーズでタッチダウン(TD)を取られました。あれを止めてたら、あの試合は勝つチャンスあったんちゃうんかなと思ってます。僕が監督としてファーストシリーズにこだわるのは、そこから来てるのかもしれないと思います。 3回生のときは礒谷さんがキャプテンで、4回生はどちらかというとおとなしくて、僕らの代がやんちゃでという感じでした。2回生で負けたときにコーチ批判をしてる人が多かったんです。関学に負けたあと西宮スタジアムの更衣室で文句を言ってる人が多くて。僕は他責で終わんのは嫌やなと。明るく楽しんで、めちゃめちゃ苦しい練習をやりたいなと思って。その年が古橋さんの監督就任初年度やったんで、チームの変わり目に便乗しようと思って、ほんまに人格変わるぐらい変えて、ノッていきました。 誰よりも声を出して、先輩に対してもイジりながら練習してました。僕らは能力の高い選手が多かったんですけど、やんちゃというか一匹狼みたいなヤツがすごく多かったんです。それがこのあたりから「フットボール楽しいよね」というところを突き詰めていくスタイルへ舵(かじ)を切っていったのがすごくよかったのかなと思います。同期は冷水とか高田鉄男とか平井とか飾磨とか、後にオールジャパン級になるヤツらばっかりで、下には長谷川昌泳とか木下典明なんかもいた時代だったので、「フットボールおもろいよね」という空気になってきて。アスリートジムに集まるのが昔ゲームセンターに集まってたのと同じ感覚で、体を鍛えたりフットボールのIQを高めたりできたというのが、周りから常勝軍団と呼ばれるチームになれた要因じゃないかと思います。