就任1年目で甲子園ボウル制覇 立命館大学・高橋健太郎監督が振り返る大学時代、すべては「入学式事件」から始まった
1年あまりで作りあげた「パンサーズ憲章」
2015年を最後に甲子園ボウルに出られていなくて、すごく歯がゆい思いはありました。でも僕はコーチの批判とかまったくしてなくて。コーチも選手もめちゃくちゃ頑張っているので、それを何とかいい形につなげてあげられたらなという話はもともとしてました。監督の話をもらうずっと前に、僕は憲章みたいなものをきちっと作った方がいいんじゃないですか、という話をチーム側にしたんです。 それはなぜかというと、関電で金利問題とかあって、理念を作り直したことがあったんです。あのときに理念ってあんまり意識したことなかったなと思いまして。すべてのジャッジに関してよりどころを持ってたら、人材育成にも生きるし、チーム作りにも生きるんちゃうかなと。そういうの作ったらどうですか、って言ってたのが元々のきっかけで、「それやったら高橋やれや」って言われて、苦節1年ちょっとで「パンサーズ憲章」っていうのを作ったんですけど、それを作りながら藤田監督ともやりとりをしていました。 監督就任にあたって関電は退職しました。みんなに「なんで?」ってめっちゃ言われますし、会社にも「休職とかいろんな道があるんちゃうんか」って言ってもらったんですけど、学生たちは4年間という限られた時間の中でやるわけじゃないですか。自分は3年、4年ぐらい頑張って、とくに成果を残さなくても関電へ帰れるっていうのは、何かこう僕だけ逃げ道を作ってるみたいで。監督としての言葉も軽くなるだろうと思って、妻にもちゃんと話をして、退路を断ってチームに戻りました。 妻ももちろんパンサーズが勝ててないのは知ってたし、「もしかしたら(監督就任の話も)あるかもしれへんなあ」って思ってたところもあったそうです。だから相談したときもあんまり驚きもせず、「やりたいんやったら、やったら」と背中を押してくれました。
篠原大輔