昭和の夜汽車を再現! 大井川鐵道「SL夜行」 チケット3分で完売の衝撃、ファンに愛された当日を振り返る
夜汽車の記憶
12月7日、SL列車で知られる静岡の大井川鐵道で、蒸気機関車がけん引する夜行列車が走った。かつての日本の汽車旅の再現に鉄道ファンが注目、チケットは発売とともに売り切れたという。 【画像】夜行列車の「内部」を見る! 一夜を過ごした臨時列車をふりかえりながら、昭和の夜行列車の思い出をたどってみた。 ※ ※ ※ 夜行列車と聞いて、思い浮かぶものは何だろうか。 青函トンネルを抜けて北海道へと向かった「北斗星」「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」などの華やかな寝台特急をイメージする人もいるだろうし、もう少し上の世代には、東京や京都、大阪と山陽・山陰・九州方面を結んださまざまな長距離列車を思い出す方々もいるかもしれない。 歌にまでなった「上野発の夜行列車」をイメージする人も多いだろう。満員の特急や急行が次々と出発していく上野駅のプラットホームは圧巻だった。毎日十数本の列車が雁行(がんこう)して東北本線や常磐線を駆け抜け、終着駅の青森で青函連絡船に接続していた。 関東や関西の主要駅から出発していた夜行快速列車「ムーンライト」も記憶に新しい。最後まで運転していた「ムーンライトながら」も、終焉(しゅうえん)からすでに4年たった。これらの多くは国鉄時代の普通夜行列車をルーツにもつものだった。青春18きっぷを手に、夜行快速の一夜から長い各駅停車の旅にチャレンジした若者たちも多い。 全国に広がった新幹線網や格安な航空券、さらには手頃な料金の高速バスの人気によって、長大な編成で一晩かけて目的地に向かう夜行列車は過去のものになった。現在、定期の夜行は東京と高松・出雲市を結ぶ寝台特急「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」だけである。車内に個室を連ねた人気列車であり、乗客にとってはこの列車に乗ること自体が旅の大きなイベントとなっているようだ。
旧型客車が語る日本の軌跡
かつての夜汽車は、長距離を旅する日本人にとって、避けることのできない重要な移動手段だった。特急や寝台列車が増発されても、経済的な面から夜行急行の座席車をえらび、4人がけのボックスシートで夜を過ごす人々も多かった。また、特急列車にくらべて停車駅が多かったことも見逃せない。古い時刻表を見ると、過疎化が進行する前の日本の地方の姿が浮かんでくる。 混雑した車内は出張の会社員や帰省客、冠婚葬祭などの要件で目的地へ急ぐ人々などさまざまで、 ・固い座席で押し黙って目を閉じる人 ・同行者と酒をかわす人 ・見知らぬ人との一夜限りの会話に笑い、そして涙する人 など、さまざまな情景が見られた。日本がバブル景気に沸く1980年代でも、こんなスタイルの旅が残っていたのである。 機関車にけん引される客車には、戦後の復興期から40年近く変わらぬままの姿で活躍をしているものもあり、地方を走る長距離列車のなかには、戦前製の古い車両さえつながっていた。冷房はなく、夏は蒸し暑い車内から抜け出て、手動のドアが開け放たれたままのデッキで涼む乗客も珍しくなかった。 通路まで埋まる満員の車内で過ごす一夜、あるいは白熱灯の淡く光る薄暗いボックス席で足を延ばしてまどろむ時間を、今では経験することができない。「旧型客車」と総称されるこれらの車両での長旅は人々の記憶に残り、現存する数少ない車両は、往時を今に伝える貴重な存在となっている。 これらの懐かしい客車を最も所有し、観光列車として長く活躍させてきたのが大井川鐡道なのである。