昭和の夜汽車を再現! 大井川鐵道「SL夜行」 チケット3分で完売の衝撃、ファンに愛された当日を振り返る
まどろむ一夜
乗車した客車、オハ35 149は1940(昭和15)年の製造。第2次世界大戦中で、真珠湾攻撃の前年だ。84年前の鉄道車両を、本線走行できる状態に整備している技術者の方々には頭が下がる。 指定された座席に向かうと、小型のライトが準備されていた。エンジンをもたず、電車とは異なり架線からの電気の供給のない古い客車は、車軸から発電機を回して車内の電力をまかなっている。古い車両ということもあり、長時間の停車でバッテリーが消耗することを防ぐために消灯するという案内があった。ライトはそのときのための準備である。 今回の列車の楽しみのひとつが車内の暖房設備。SLから送られる蒸気で車内を暖める、懐かしい蒸気暖房なのである。ヒーターの配管が温まって伸縮する音が、窓辺からコツコツと響く。やわらかな暖かさにつつまれる蒸気暖房は冬の客車列車の醍醐味(だいごみ)だった。乗り込んだ参加者が思い思いの姿勢でくつろぐなか、21時50分、汽笛を短く鳴らした列車が動き出した。 30分ほどで家山駅に到着し、ここから折り返しとなる。駅舎の脇にそなわる給水塔から機関車に水が補給される。カメラを手にした人々が静かに集まった。 長い停車時間は、写真を撮る人やホームを散歩する人、照明の落とされた暗い車内で、早くもうつらうつらする人など、過ごし方もさまざまである。 車内放送も出発時に各駅の到着時刻を静かに告知しただけで、特別な案内や車内イベントはなし。乗客も羽目をはずすことがない。この列車の楽しみ方、楽しませ方を、参加者と運行スタッフとが最初から共有している感があり、実に居心地がいい。 にぎやかなイベント列車も楽しいけれど、自分が体験したかったのはこれなのだ、とほほ笑んでしまう。車窓の闇を流れる暖房の白い蒸気を眺めながら、飲み干したウイスキーのグラスを片手にうつらうつら。
レジャーブームと夜行列車
大井川鉄道の夜行列車はこれが初めてではなく、1970年代後半に当時の国鉄とタイアップした山岳夜行の記録が残っていた。 ゴールデンウィークの南アルプス登山客を対象にした臨時列車で、23時30分に東京を出発する大垣行の東海道線夜行(ムーンライトながらの前身となった普通列車)が午前3時4分に金谷駅に到着するのにあわせて、3時30分に金谷を出発。終点の千頭駅に到着後は井川線とバスで乗客を登山口まで輸送したようだ。 国鉄は1950年代後半から1970年代にかけて、全国で登山客やハイカー、スキー客に向けた夜行列車を設定していた。レジャーブームの広がりとともに運転本数は増加、東京からほど近い上越地方へ向かう夜汽車は通勤列車なみの混雑となった。大学の山岳部や会社員の登山愛好会などが、土曜の夜行で現地に入る日程を組んでいたのである。 谷川岳の登山口となる土合駅は、1960年代後半に完成した地下のホームから地上にのぼる長い階段が、夜行列車から降りた登山客で埋めつくされたという。