薬物依存で虐待サバイバーの女性32歳が語る“薬なしでは生きられなかった”ワケ「依存的に使う人の背景にあるもの」
「違法薬物のほうが気楽だから」と依存するように
母の元に戻っても精神科への通院は続いたが、親に扶養されていることは受け入れがたかった。健康保険を使用し、処方薬を処方してもらうよりも、違法薬物を手に入れるほうが気楽だった。 「虐待やいじめのフラッシュバックが起きる頻度が増えていましたが、ある違法薬物を使用すると、フラッシュバックがピタっと治まった。医者よりよっぽど優秀じゃん!と思いました」 そこからは以前のように友だちと一緒にいるときだけ、薬物を使うのではなく、フラッシュバックから逃れるために、一人でも使用するようになっていった。「寝たい時はこの薬」「集中してパチンコするにはこの薬」と、シーンに合わせたり、なりたい自分でいたりするために、セルフコントロールの手段として薬物を使用するようになる。 「自己効力感を人生で初めて得られました。薬物の薬理作用ではなく、薬物を使って自分をコントロールすることに依存していた気すらします」 しかし、2010年頃から薬物を使用しながらでも生きていくことをバカバカしいと考えるようになった風間氏は、2011年に自殺を図る。
自殺未遂の後遺症で坐骨神経麻痺が残る
「薬を使うのは、コスパの悪い延命みたいなものだと思いました。誰からも存在を望まれていないし、生きていて楽しいわけでもなかった。死んじゃったほうが絶対に楽だなと」 そう考えた彼女は、家中のありとあらゆる薬物をODして、自殺を図った。昏睡状態に陥り、目が覚めた時には、ICUにいた。 「目が覚めた時は『生きちゃった』と思いました。『誰が助けろと言ったんだよ』と自殺を図る前よりも強い絶望を感じました」 自殺未遂は彼女の体に強烈な負担となり、カルテには横紋筋融解症(骨格筋を構成する筋細胞が融解・壊死すること)の文字があった。その後遺症で、今でも左下肢に機能障害が残っている。
子どもを妊娠したことがきっかけで立ち直る
壮絶な半生を歩んだが、23歳の時に子どもを授かる。子どもを妊娠したことをきっかけに入籍もした。 「自殺を図ってから子どもを授かったとわかる直前まで、薬物はやめていたものの、タバコとお酒はやめていなかったんです。だけど、産婦人科の帰り道に、ポケットのタバコを握りつぶしてテーブルに叩きつけました。そうしたら、自分の性格上、もう引っ込みがつかなくなるかなと思って」 長男を出産後、年子で次男を出産し、2人とも母乳で育てた。その間、たばこや酒・薬物は一切使用しなかった。子どもの送迎に車を使うことが増えたので、父のように飲酒運転で事故を起こしたくなかったこともあった。しかし数年後、離婚し、シングルマザーに。次男の授乳が終わり、飲酒と喫煙を再開したが、ある日、長男に言われた言葉で治療したいと思うようになる。 「長男に、『お酒を飲んでいるママがホントに嫌い』と言われました。自分が子どもの頃、周りの大人たちに意見を取り入れてもらったことがなかったので、息子に同じ思いはさせちゃいけないと思いました。だけど、1人でやめる自信がなかったので、初めて自分から必要だと思い、依存症専門外来を受診することにしたんです」 そこで出会った精神科医の松本俊彦氏や、風間氏が所属しているNPO法人ASK代表の今成知美氏をはじめ、信頼できる仲間たちに出会えたことで、薬物や酒を使わずとも自己効力感が得られるようになっていった。2023年5月には『専門家と回復者に聞く 学校で教えてくれない本当の依存症』も出版している。