考察『光る君へ』32話 『源氏物語』を読みふける帝(塩野瑛久)の表情!彰子(見上愛)の手を取り炎から連れ出した先、お互いを想う心が芽生えないはずがない
「公任に聞いたのだ」
倫子(黒木華)「殿がなぜ、まひろさんをご存じなのですか?」 予告では震えあがった嫡妻からのこの問い、当然だが道長も予想し幾度もシミュレーションをしていたらしい。「公任に聞いたのだ」というごく自然を装っての間髪入れず具合に笑ってしまう。そして娘・彰子の藤壺に帝をお招きする作戦だと聞いた倫子が喜ぶのを逃さず、「そうか、倫子がよいならそういたそう」。さらにさりげなさを演出しながら、妻から許可の言質を取っている。ずっっっるいなあ、もう! (なんとか最初にして最大の難関を超えた……)と小さく安堵の溜息を漏らす道長に、苦笑を抑えきれない。 かたや、まひろと為時も、女房勤めについて話し合った。生活のこと、将来的なこと……為時がいるとはいえ、まひろはシングルマザーである。収入はあったほうがいい。 そして、賢子はどうするか。 為時「内裏は華やかなところであるが恐ろしきところでもある」「幼子が暮らすところではない」 さすが父上、花山帝(本郷奏多)の朝廷でさまざまな経験をしただけある。観ているこちらとしても、女房たちのえげつないひそひそ話、通り道にばら撒かれた鋲、横行する呪詛……あれらを思い出すと為時の言葉に頷いてしまう。 そして、当の賢子は母が内裏勤めをすることに対して、 「母上はわたしが嫌いなの?」 これへのまひろの返事は「大好きよ」 賢子「大好きなのになぜ内裏にゆくの?」 「賢子も一緒に内裏にゆく?」 しっかり答えているように見えて、私よりも内裏勤めを選ぶのか、行かないでくれという娘の願いに、一緒に行くかという問い返しは答えになっていないのではないか。夫のいない身では将来に不安があること、働く必要があることを話さねばならなかったのでは……。 母娘の僅かなズレは、離れて暮らすうちに──いや「母は私を置いて行った」と賢子が思ってしまったこの日から、大きな亀裂となるのではという不安がある。
赤染衛門先生も嬉しそう
まひろ、彰子に13話以来2度目のお目通り。そして道長と倫子の夫婦としての姿をしっかり目にするのはドラマ内では初……。 赤染衛門(凰稀かなめ)に内裏の案内を任せて去る左大臣夫婦の後ろ姿を、どう受け止めてよいのかまだわからない、まひろの表情が切ない。 「帝のお目に留まるとは、ご立派になられましたね」 かつての教え子がこうした栄誉を得て、赤染衛門先生も嬉しそうだ。そしてここで語られる、先生のこれまでの境遇と夫婦関係。 赤染衛門の生まれた年ははっきりとはわかっていないが、様々な文献、人間関係から推測して天暦後期~応和年間(956年頃~964年)かとされる。それに沿って考えると、まひろが土御門殿に出入りするようになったのは3話の永観2年(984年)だったから、姫君サロンの場面では赤染衛門先生は20代。32話の寛弘2年(1005年)では40代か。夫は大江匡衡(まさひら)である。『紫式部日記』では赤染衛門について「中宮様(彰子)や道長様などは彼女を『匡衡衛門(まさひらえもん)』などとあだ名をつけて呼ぶ」と記し、つまり普段から夫のことばかり話す……赤染衛門夫婦の仲睦まじい様子を伝えている。 「帰ってこない夫を待つのにも飽きましたので」というのはドラマオリジナル設定かなと思うが、それはそれとして、ほろ苦い笑みをこぼす凰稀かなめの芝居が、この世代の女の哀愁と強さを感じさせてよい。
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