長寿研究のいまを知る(10)糖尿病薬「メトホルミン」が抗老化薬として注目されるワケ
前回、カロリー制限により細胞が栄養不足を感知してエネルギーを節約する代わりにオートファジー(自食作用)が強化され、細胞の増殖・分裂などが緩やかになること、その結果として老化が遅れること、それにはIGF-1(インスリン様成長因子-1)が関係するシグナル伝達経路も関係していること、IGF-1はインスリンに似たホルモンの一種で栄養素が血中で増大するのを検知して全身の細胞を活性化することなどを説明した。 薬のプラスアルファの効果が日本人の健康寿命に関係している ならば、肥満や糖尿病においてなぜ寿命の延長がみられないのだろうか? 肥満や糖尿病ではインスリンの機能が低下し、全身の細胞が栄養を取り込みにくいインスリン抵抗性状態にある。つまり、肥満や糖尿病では細胞が栄養不足状態にあるわけで、寿命延長効果が得られるのではないのか。ハーバード大学医学部&ソルボンヌ大学医学部客員教授の根来秀行医師が言う。 「インスリン抵抗性がある状態でも、脳などのように必ずしもすべての組織においてインスリン作用が大きく低下するわけではありません。また、高血糖の状態は全身の毛細血管を傷つけることになり、その状態が継続するとさまざまな臓器の機能低下につながっていきます。糖尿病の3大合併症も、高血糖の状態が継続することによって引き起こされます。つまり、肥満や糖尿病においては、インスリン作用の低下による寿命延長効果を上回って、寿命を短縮することになるのです」 さて、治療現場で使われる一方で、長寿に役立つ薬として注目され研究されている薬は、mTOR阻害剤「ラパマイシン」以外にもある。古くから使われている2型糖尿病治療薬「メトホルミン」だ。 「メトホルミンは十分なインスリンを作れる膵臓を持ちながら、体がそれを感知できないタイプの2型糖尿病の患者に向けた薬です。この薬を飲むと血中を流れる糖を細胞が取り込んで活用できるようになります」 フランスで1959年に承認され、日本では1961年に発売された信頼性の高い薬で、国内外で多くのエビデンスが報告されている。その蓄積から米国糖尿病学会などで2型糖尿病の第1選択薬となっている。 この薬が健康寿命と寿命を延ばすことは、さまざまな研究機関が報告している。例えば、2017年には「メトホルミンは糖尿病コントロールとは無関係に、全死因死亡率と老化疾患を減少させる」との論文がオーストラリアの研究グループから報告されている。 米国立老化研究所はメトホルミンを投与したマウスではそうでないマウスに比べて、寿命が5%延びることを明らかにしている。メトホルミンを投与したマウスは摂取カロリーが減り、コレステロール値が下がり、腎臓病やがんが減少したという。 米国では2020年から6年間行う「Targeting Aging with Metformin」(TAME)試験がスタート。全米14の主要研究機関が参加するこの臨床研究は65歳から79歳までの3000人以上が対象となる。研究の狙いはメトホルミンを服用している人が、心臓病、がん、認知症などの加齢に伴う慢性疾患の発症遅延や進行を経験するかどうかを検証することだ。 ■長寿遺伝子の活性を高める メトホルミンがなぜ老化を防ぐのか? 「メトホルミンは、カロリー制限したときと同じようにオートファジーを活性化することがわかっていますが、注目すべきはミトコンドリアの活動にも影響を与えることです。ミトコンドリアは細胞内に数百~数千存在する細胞小器官で、細胞内に運ばれてきた栄養素や酸素を使ってエネルギーを作るエネルギー産生工場です」 メトホルミンを使うと、ミトコンドリアの機能を回復させる酵素AMPK(AMP活性化プロテインキナーゼ)が活性化し、ミトコンドリアが元気になる。 AMPKは、細胞内でエネルギーが足りなくなると、それを察知してエネルギー産生に関わる酵素のスイッチをオンにする作用があり、燃料センサーと呼ばれている。AMPKはエネルギーの減少を察知し、エネルギーを増産する一方で消費の抑制を促し、インスリン抵抗性を改善する働きがあるともいわれている。 「AMPKは細胞内のNAD(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド=エネルギー産生に必要な補酵素で加齢と共に減少)濃度を高め、現在まで7種類発見されている長寿遺伝子『サーチュイン遺伝子』のひとつの活性を高めます。さらに、ミトコンドリアの数を増やしたり、がん細胞の代謝を抑えるといったことが研究報告されています。しかも、AMPKは肝臓や心臓、視床下部など多くの器官を成す細胞内に存在しており、その活性はさまざまなメリットを生み出すことが明らかになりつつあるのです」 2023年には、米国のユタ州立大学がメトホルミンに筋肉の回復を活性化する作用があるとの研究成果を発表している。研究グループは、60歳以上の健康的な男女20人を対象に比較試験を実施。5日間の安静期間の後、10人にメトホルミンを投与し、残り10人に偽薬を投与した。結果、投与群は筋肉の萎縮が少なく、炎症を示すマーカーが低下し、筋線維化を促すコラーゲンの沈着が少なかったという。