「まだまだ気仙沼は大丈夫だ」、震災2日後にそう信じることができた白い漁船
『気仙沼漁師カレンダー』の10年以上にもわたるプロジェクトの歩みを描いたノンフィクション『海と生きる 「気仙沼つばき会」と『気仙沼漁師カレンダー』の10年』(著者:唐澤和也)が発売になりました。地元を愛する女性たちだけの会「気仙沼つばき会」さんの「街の宝である漁師を世界に発信したい!」という強い想いから始まった、このカレンダー制作の舞台裏と歴史を多数の証言で綴る一冊。 【画像】「気仙沼つばき会」メンバー 今回は、本書の「1章」前半を一部抜粋・再構成してお届けする。
気仙沼のスーパーヒーローは漁師
気仙沼のスーパーヒーローは誰ですか? 街頭インタビューでそう問われたなら、地元で暮らす人々はなんと答えるのだろう。 ヒーローといえば、やはりスポーツ界から選ばれるのが王道か。 気仙沼出身のアスリートは、2015年のラグビーワールドカップで南アフリカを撃破した日本代表のプロップ、畠山健介が有名だ。2012年のロンドンオリンピック、フェンシング・フルーレ団体で銀メダルを獲得した千田健太もいる。 年配の方ならば、秀ノ山 ( ひでのやま ) 雷五郎という江戸時代に活躍した横綱力士の名前をあげる人がいるかもしれない。どうしても相撲の世界に身を投じたくて気仙沼から江戸に出て、修練の果てに第9代横綱にまでなった豪の者である。 気仙沼のスーパーヒーローは誰ですか? 気仙沼で生まれ気仙沼で育った、ふたりの女性の答えは漁師だ。 斉藤和枝と小野寺紀子。斉藤の家業である「斉吉商店」は、他県から来た漁船が気仙沼で仕事をするため、乗組員の組織をしたり、船員の宿や食事の手配まで、よろず仕事全般を請け負う廻船問屋だった。 「オノデラコーポレーション」は、気仙沼を母港とする漁船が使う餌を輸入販売したり、漁撈資材の販売を行っている。 小さな頃から海の男たちと深いかかわりを持つ彼女たちは、日常に漁師がいる生活が普通だった。漁師たちの言葉遣いは荒かったけれど、それもまた日常。 なにを言っているのかわからない「別の言葉を使う人たち」も多かった。 気仙沼には、日本全国から優秀な漁師が集まってきており、それぞれが使うお国言葉もまたバラバラだったからだ。 それでも、まだ子どもだった彼女たちが、漁師たちを怖いと思ったことはない。見た目は怖いが心根 ( こころね ) はやさしく、獲れたての魚をわざわざお土産に持ってきてくれてドンと置いて帰っていくような、粋な人たちだったからだ。 斉藤は、自分たち夫婦の代で、「斉吉商店」を廻船問屋から気仙沼の海の恵みをいかした加工食品メーカーへと主軸を移すことに挑戦する。 試行錯誤を重ねた「金のさんま」は人気商品のひとつだ。 小野寺は親族とともに「オノデラコーポレーション」を発展させてコーヒー事業部を立ち上げた。気仙沼ではじめてカフェラテを提供した「アンカーコーヒー」である。 海とのかかわりも以前と変わらず深く、彼女が担当しているオーシャン事業部では、水産物の輸出入業を営んでいる。 大人になった彼女たちは、漁師という存在がいかに気仙沼に不可欠なものか、より明確に理解するようになっていく。 自分たちがこの町で働き海とかかわることで、気仙沼の経済が漁師たちによってまわっていることを再認識したからだ。 気仙沼港に水揚げされただけでは、魚は流通しない。 大前提として買い人がいて、そのうえで、魚を入れる発泡スチロールの箱を作る人、魚の鮮度を保つ氷を作る人、県外へ鮮度の高いまま出荷・運搬するトラックのドライバーもいる。 さらに、気仙沼港には造船所も完備されていて、船を造る人や修理をする人もいる。漁師たちの食と休息を支える飲食業に従事する人だっている。 だからこそ、斉藤と小野寺にとってのスーパーヒーローは漁師だった。