「まだまだ気仙沼は大丈夫だ」、震災2日後にそう信じることができた白い漁船
新幹線内での熱い会話がすべての始まり
2012年秋のこと。岩手県のJR一ノ関駅から長野県へと向かう新幹線の中で、ふたりはもうもうと盛り上がっていた。 「もうもうと」とは、気仙沼弁というよりもオリジナルの〝和枝語〟らしいのだが、標準語に訳すのなら「めらめらと」といったニュアンス。 令和の女子高生が推しているアイドルについて熱く激しく語りあうように、もしも、気仙沼のスーパーヒーローのカレンダーを作ったのなら、どんな写真がいいべがと、ふたりだけの世界に入り込んでいた。 「写真集で『佐川男子』が話題になってるっちゃ? ああいうのがいいね!」 「そうそうそうそう。あと、沖縄の消防士の人のカレンダーとか!」 「そうそうそうそう。漁師、筋肉、筋肉、漁師、みたいなね!」 「カツオをさ、3本ぐらい抱えてグッとやったら二の腕の筋肉とか、あの人たちはすごいから!」 「で、どうせ作るんだったら、世界に通用するカレンダーね!」 「んだね! 世界だね!」 かっこいい漁師のカレンダーを作ることで、漁師になりたい若い人が気仙沼に来るかもしれない。そんなことも真剣に話し合った。 あまりにも盛り上がってしまったため、所要時間3時間ほどがあっという間にすぎ去った。 ふと気がつくと雪をかぶった長野県の山々が目に映る。そもそも、彼女たちが長野県を訪れた理由は、もうもうと盛り上がるためではない。 震災後の自分たちの仕事の参考になるかもしれないと、長野県で成功を収めていたジャムなどの加工食品会社を訪ねて、なにかしらの学びを得ようと思っていたのだ。移動が発想をうんだのか、たまたまその時だったのか。 この日、『気仙沼漁師カレンダー』の素 ( もと ) が誕生する。 2024年2月、「気仙沼つばき会」3代目会長でもある斉藤が振り返ったのは、もうもうと小野寺と盛り上がった話の裏側に詰まっていた想いについてだった。 「気仙沼の漁師さんをかっこいいと感じるのは、なにも私たち女性に限ったことではないんです。男性であるうちの社長も言っていますから。『サンマ船の水揚げって、すごくリズミカルで、まるでEXILEのダンスのようだ』って。でも、私たちは漁師さんの魅力を知っているけれど、全国の多くの方はご存じないですよね。なんだったら、地元の気仙沼の人だって知らないのかもしれない。だったら、私たちが思う漁師さんのかっこよさを内外に広く伝えたいと強く思ったんです」 気仙沼の女性ふたりが、漁師をかっこいいと感じるのはミーハー的要素もある。けれど、彼女たちが推す漁師のかっこよさには奥行きがある。