「クリエイティブってなんだべ」の初プレゼン。感涙の『気仙沼漁師カレンダー』第1作が完成!
『気仙沼漁師カレンダー2014』完成! しかし……
「今日はここまでにしましょう」 そんな藤井保の言葉のあとで、残されたプロデューサーの坂東美和子が動いた。 斉藤和枝や小野寺紀子から、なぜ左側の写真を気に入ったかをヒアリングする。聞くだけではない。「気仙沼つばき会」としては引っ掛かりのあった写真も「絶対に掲載したほうがいいと思います」と提案した。 たとえば、「第18共徳丸」が漁港から約750メートルも離れた気仙沼市街地に打ち上げられた一枚。藤井を頭とするクリエイティブチームとしては「マスト」な一枚であったが、気仙沼市民である「気仙沼つばき会」の感情としては、震災を忘れたい人たちには「マスト」どころか「マイナス」すら想像できる一枚だった。 最終的に「第18共徳丸」の一枚は、「気仙沼漁師カレンダー発行にあたって。」という巻末の言葉とともに掲載された。 その後、2013年10月には、「第18共徳丸」が撤去されたから、写真として残せたのは貴重であり、意味のあることとなる。 巻末の言葉は「気仙沼つばき会」によって綴られたものだった。 2011年3月13日。被災してはじめて避難した高台からいつも暮らしていた魚市場の付近に降りてきた時、景色は、一面黒と灰色の泥と焼け焦げたガレキだらけでした。何もかもが失われ、絶望に包まれて立ち尽くしていると、市場の壊れた岸壁に、真っ白い漁船が入ってきました。それはそれは美しく「気仙沼には、漁船があった!」と思いました。変わり果てた現実の中に希望を見つけ、頼もしい思いでしばらく仰ぎ見ていました。・・・・ふと気がつくと、海も、空も、真っ青でした。 世界三大漁場である気仙沼には、全国から優秀な漁師さんが集まってきます。このように漁業が発展したのも、そのおかげだと思っています。経験と、勘と、覚悟を持って、いのちをかけて海とがっちり向き合う姿。私たち「気仙沼つばき会」は、そんな気仙沼のスーパーヒーローである漁師さんをもっともっと知ってほしくて、今回のカレンダーを企画しました。漁師さんは、気仙沼の自慢です。震災から2年が経ち、2014年3月で4年目を迎えます。今までも、これからも、漁師さんがいるからこそストーリーは始まるのだと信じています。 さらに、カレンダー作りは続いた。坂東が「気仙沼つばき会」の希望を東京に持ち帰り、藤井とサン・アドのメンバーでセレクトを再考した。 そして、ふたたびの気仙沼。秀ノ山雷五郎像の写真は掲載なし。代わりに漁師を主人公とする写真や、「出船 ( でふね ) おくり」と呼ばれる気仙沼港の風物詩などが選ばれていく。 表紙を含め、14枚すべての写真が決まった時、斉藤は涙を流した。 「こんなに素敵な写真をありがとうございます」 そう言うと、小野寺も泣いていた。 坂東の目からもこぼれるものがあった。坂東と長年仕事をともにしてきたアートディレクターの吉瀬浩司は、彼女が仕事で泣くのをはじめて見て驚き、自身も泣きそうになって涙をこらえた。 2012年の冬から都合7度の撮影を重ねた『気仙沼漁師カレンダー2014』は、「第65回全国カレンダー展」の最高賞である「経済産業大臣賞」を受賞した。 2024年3月。現在は故郷の島根県にアトリエを構える写真家の藤井が、気仙沼の「ばっぱの台所」での出来事を静かに語り始めた。 「つばき会の人たちが左側の写真を多く選んだのは、ショックはショックでしたよ、やっぱり。でもね、嫌な気持ちではなかったんです。 だって、お互いの立場があるわけで、意見や感性の違いはあって当然のことですから。秀ノ山雷五郎像のことにしても、僕としては、漁師と横綱っていうのは同じ気仙沼の象徴じゃないかという気持ちで撮った。ものすごくいい霧も立ち込めてくれた。 でも、つばき会の人たちは、漁師をリスペクトするなかでうまれた企画だから、許せなかったんだろうね。写真家になってはじめて自分でプレゼンしたんだけど、斉藤和枝さんに悲しいほうの涙を流させてしまった瞬間があったのはつらかったです 。結局、僕らの時は、クリエイティブ側も、つばき会の人もはじめてのことでしたから。お互いに不慣れななかで、でもお互い真剣にぶつかったのだと思います」 晴れ晴れとした表情で、藤井は言葉を続けた。 「『気仙沼つばき会』の人たちとたくさん話して、なかでも印象的だったのが、避難所での男女の違いについてなんです。男は失くしたものの大きさに呆然と立ちすくむ。でも、女の人は今日食べるものをどうしようと考える。男のように立ちすくまないし、止まらない。この生理の違いを僕はものすごく理解できました。 こういう時に女の人はやっぱりやさしくて強いんだなぁって。そういう意味でも僕は、『気仙沼つばき会』をリスペクトするんです。彼女たちだからこそ、このカレンダーは10年も続けることができたのだと思うな。たとえばだけど、大手出版社だったら、10年は続けられなかったかもしれない」 すべてのはじまりの『気仙沼漁師カレンダー2014』が完成した。 価格は2000円、印刷部数は5000部に決まった。「気仙沼つばき会」メンバーの人件費はボランティアだからよしとしても、印刷代を含めた制作費がかかっている。そこから算出した価格と部数だった。 その印刷部数を聞いて、カレンダー業界に詳しい知人が「そんなに刷って大丈夫? アイドルのカレンダーでも3000部ぐらいらしいよ」と教えてくれた。その言葉を聞いて「気仙沼つばき会」の面々はふたたびのあの言葉を心の内で繰り返すのである。 (あれ? もしかして私たち、やっちゃった?) 『気仙沼漁師カレンダー』は作ったら終わりではなかった。作ったからには、売らなければいけなかった。売らなければ赤字である。 この日から、「気仙沼つばき会」の「売っぺ! 売っぺ! 売っぺ!」な怒涛の販売の日々が始まるのだった。
10名の写真家のフォトもカラー収録!
ギャラリーアイコン すべての画像を見る 文/唐澤和也 構成/「よみタイ」編集部 ※「よみタイ」2024年12月1日配信記事
集英社オンライン