【追悼】小林邦昭さん 「虎ハンター」が破ったマスクは378万円 初代タイガーマスクとの伝説の攻防秘話 封筒にカミソリも
試合では勝っても、人生や包容力では負けていた
小林の方が1つ年上だが、若手時代はライバルとして鎬を削った。当時、良い試合をすると、道場長の山本小鉄から5000円貰えたというが、2015年に筆者が佐山にインタビューした際には、こう言ってくれた。 「僕と小林さんがやれば、貰えないことはなかったですね(笑)」 同様に小林も、「佐山とやれば必ず貰えたから、カードを組まれると嬉しかったね」と答えている。 佐山が初めての給料で購入した2人乗りの4輪自転車で、道場からその日の試合会場の田園コロシアムまで小林とともに仲良く漕いで行くと、なんと会場では2人の一騎打ちが組まれていたこともあった(1976年8月28日)。さすがに帰りは同乗するわけに行かず、佐山が1人で漕いで帰ったという。 メキシコでの修行時もグラン浜田宅に居候という形で同居。部屋の鍵をなくして、2人でドアを壊して入ったり、佐山が買ったバイクに相乗りでスーパーに買い出しに行ったりという、ツーカーの日々だった。とはいえ、 「佐山は運転してるから、目の前の木とかサッと避けるんだけど、ハコ乗りの俺は気付かずにガンガン当たってね。お陰で頭が悪くなった(苦笑)」(小林) 2人で力を合わせ、新弟子時代の前田日明にイタヅラを仕掛けていたのは、以前も書いた通りだ(2023年8月6日配信『前田日明が何度も騙された「お化け騒動」 本人は「人生で一番楽しかった」と語った伝説の新日時代』)。 2000年4月、小林は現役を引退。それを機に、佐山との対談が組まれた。佐山は若手時代、小林の絞めで歯を折られたことを告白。「悔しかったから言わなかった(笑)」。話はタイガー時代の抗争に。小林は前述の、剃刀での親指の負傷を語った。その際、未だに残るその大きな傷痕を観て、佐山は目を丸くした。 〈そんな大怪我したって初めて聞いたよ、今まで僕に心配かけまいとして言わなかった〉……(前出「週刊宝石」) 小林の引退セレモニーには、もちろん佐山も登場。だが、リングに上がる前から号泣していた。永遠の宿敵に花束を渡し、抱き合った佐山は、涙も渇き切らぬ中、報道陣にこう語った。 「僕は小林さんに、試合では勝っても、人生とか包容力では、完璧に負けてました。ありがとうとしか、言いようがないです」 「小林さんですよね?」と、街で呼び止められることが、今でもあると言う。そして続けて言われる。 「見てましたよ、タイガーとの試合。あの頃、僕は中学生だった……」 「『サインが欲しい』って言われることもね」と小林。快く応じながら、ふとこんな質問をぶつけることがあるそうだ。 「ところで、どちらのファンでした?」 答えは一つだという。 「申し訳なさそうに、でもみんなやっぱり、『タイガーマスク』って言うんだよね(笑)」 そう言って、小林は嬉しそうに笑った。まるで、「それも自分の誇りだ」と言うように。 瑞 佐富郎 プロレス&格闘技ライター。愛知県名古屋市生まれ。フジテレビ「カルトQ~プロレス大会」の優勝を遠因に取材&執筆活動へ。近著に『アントニオ猪木』(新潮新書)、『永遠の闘魂』(スタンダーズ)、『アントニオ猪木全試合パーフェクトデータブック』(宝島社)など。BSフジ放送「反骨のプロレス魂」シリーズの監修も務めている。11月末には新刊を上梓予定。 デイリー新潮編集部
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