なぜ五輪世代のU-24代表に鳥栖の高校2年MF中野伸哉が“飛び級”抜擢されたのか?
中野を含めた、今シーズンの鳥栖を象徴する若い力は、J1に初めて昇格した2012シーズンから育成型クラブとしての将来像を描いていた竹原稔前社長のもと、アカデミーを継続的に強化してきた先行投資の賜物と言っていい。同じ環境で育ってきた選手たちが身近に大勢いる状況がチーム内の競争意識を駆りたて、お互いに切磋琢磨しながらさらに輝きを放つ好循環を生み出している。 前所属チームがサガン鳥栖U-15となる佐賀市出身の中野は、13歳だった2017年5月にU-15代表に抜擢され、16歳で出場した2019年のFIFA・U-17ワールドカップでも全4試合に出場。常に同世代よりも上のカテゴリーで受ける刺激を、心技体を成長させる糧に変えてきた。 2024年の次回パリ五輪の中心世代として期待されていたなかで、いわゆる“飛び級”で自国開催の東京五輪の舞台に、最大で6歳年上の選手たちとともに立つ挑戦権を得た。クラブを通して発表された短いコメントのなかには、未知の世界を経験するだけにとどまらない決意と覚悟とが凝縮されている。 「選出されたことで満足せず、いいものを吸収し、遠慮せず自分のプレーをしっかりと発揮して頑張ってきます」 日本が10度出場してきた五輪サッカー競技の歴史における最年少は、2004年アテネ大会のFW平山相太(当時・筑波大1年)の19歳2ヵ月となる。東京五輪の開幕時でも17歳11ヵ月の中野が18人の代表枠に食い込めば史上初の高校生五輪代表になるとともに、平山がもつ最年少記録を大幅に更新する。歴史を塗り替える挑戦が、南米代表の座を射止めている強豪アルゼンチンとの2連戦から幕を開ける。 (文責・藤江直人/スポーツライター)