軍政権の弾圧を生き抜くミャンマー医療者、来日した著名医師が日本の市民に訴えたこと
「金持ちに見えるだろう」と冗談を言われたが、笑えない現実を感じてしまった。 学校が軍に接収されて通えないため、子どもたちはもっぱら家で過ごすか町に働きに出ていた。あるレストランでは、中学生や小学生に見える子どもたちが切り盛りしていた。おそらく家の働き手が民主派として戦闘に参加しているか、あるいは逃走しているためだろう。 チン族の大多数はカトリック教徒なので、日曜日には多くの人たちが教会に集う。現地ではコメが不足していたため現地の教会で配給が行われていた。ザガイン管区に住むチン族については、教会や宗教のサポートが大きいように感じた。ミサに集う仲間と連帯することで、3年以上に及ぶ戦火を何とか生き抜いていた。
■国際的な関心の継続がカギ 京都講演の話に戻ろう。シンシアマウン氏は最後に日本へのメッセージを残した。 「日本は長い時間をかけて政府開発援助(ODA)や人道支援などを通じて多くの若者に持続可能なスキルを身に付けさせてくれました。私たちはそのことに感謝をしています。しかし今、軍事政権は国民に多くの犠牲を強いています。求めてばかりで本当に申し訳ないのですが、今一度、国境を越えた人道支援が必要です」 そして、メータオ・クリニックが長い時間をかけて行ってきた活動への継続的な支援を呼びかけた。
「私たちはタイを経由して活動しなければなりません。国境を越えて祖国に支援をすることは非常に困難です。この状況を打破するためにも、タイおよび日本政府が緊密に連携してほしい。日本には戦争や洪水の影響下で苦しんでいる人々に対し、より多くのサポートができる力があると信じています」
武馬 怜子 :報道写真家