大事な人の死を語り合い、悲しみを言語化 喪失の悲嘆によりそう「グリーフケア」の現場
家族に看病や介護の後悔を残してほしくない。患者が生きているうちに、スタッフから家族へ「家族の存在が、患者の力になっている」とこまめにフィードバックして、ねぎらいの言葉をかける。 「やっぱりご家族がいらっしゃると表情がいいですね」 「今日は痛みが少ないみたいですね」 一緒に体を拭いてもらったり、手を温めてもらったりすることもある。 患者の死後、心配な遺族がいれば、地域の医療者のネットワークで共有する。例えば、故人のかかりつけの訪問看護師に「ご家族が心配だから、亡くなった後に一度訪問していただけたら」と声を掛ける。訪問看護師やケアマネジャーから「大変でしたね」と一声をかけられるだけで、心が慰められる家族もいる。それでも悲嘆に暮れて心配な人は、遺族外来につないでもらう。 ■予想以上につらく受診 2007年に全国初の「遺族外来」を立ち上げた、埼玉医科大学国際医療センターには、北海道から沖縄まで全国から遺族が駆け込んでいる。精神腫瘍科教授の大西秀樹さんは言う。 「かかりつけの内科クリニックや精神科クリニックがグリーフケアの役割を担っていますが、専門の医療機関は少ないのが現実です」 本来、日常の失敗も、喪失の一つ。喪失による心の傷を癒やし、立ち直る力が人には備わっているという。でも、死別は対処するには大きすぎる喪失だ。大西さんは言う。 「つらくなるだろうと予想はしていたけれど、予想以上のつらさがあって、受診する人が多いです」 大事な人を亡くして抱く感情は、悲しみだけでない。治療への後悔を抱く人は多い。 「もっと看病できなかったか」 「モルヒネを使ったから、早く亡くなったのではないか」 現代ではモルヒネが命を縮めることはないが、間違った認識で悔やむこともよくある。 また、愛する人が亡くなる過程を見てきたことも、非常につらい経験だ。 最近になって、6年ほど前にがんで娘を亡くした母が診察室に来た。母は語った。娘は化学療法のために髪の毛が抜けて、体が干からびるように痩せて、歩けなくなって、寝たきりになり、最後は痛みが出て亡くなっていった──。命日が近くなると、徐々に衰えていく娘の姿がフラッシュバックする。娘の死について語ることができるまで、6年ほどかかった。大西さんの診察室には自殺や事故の遺族も来るが、圧倒的にがん患者の遺族が多いという。