見る人を信じているコンテンツが強い。「過剰なわかりやすさ」は作り手の惰性【鈴木おさむ×阿武野勝彦】
ミニシアターで異例の観客動員数28万人超えのヒットを記録した『人生フルーツ』や、「人権」の視点から指定暴力団に密着取材した『ヤクザと憲法』、そして自局の報道部にカメラを向けた『さよならテレビ』など、数々の名作ドキュメンタリーで知られる東海テレビ。同局が47年にわたり追ってきた「名張毒ぶどう酒事件」(詳しくは前回記事を参照)に関する最新ドキュメンタリー映画『いもうとの時間』が1月4日より公開中だ。 【写真】89歳で獄中死した、「名張毒ぶどう酒事件」で犯人と目された奥西勝氏 手掛けたのは、冒頭で述べた話題作を生み出してきた名物プロデューサーの阿武野勝彦氏。阿武野氏は今年1月に東海テレビを退職し、本作は同局での最後の作品となる。 そんな阿武野氏が一度じっくり語り合ってみたかったというのが、放送作家の鈴木おさむ氏。鈴木氏も昨年3月で放送作家と脚本業を引退しており、東海テレビドキュメンタリーのファンであることも公言している。 FRaU webでは、ふたりの対談を全3回にわたり配信。第2回後編となる本記事では、ナレーションやテロップを多用した「わかりやすい」コンテンツが増えていることについて、率直な思いを語ってもらった。
ナレーションで人の心情を伝えるべきではない
――作り手が「広くあまねく」見られようと思うと、どうしても多くの人に伝わる「わかりやすい」方法を取りがちです。ナレーションやテロップでの親切な説明はその一例かと思いますが、一方で阿武野さんは、ご著書『さよならテレビ:ドキュメンタリーを撮るということ』(平凡社新書)で、ナレーションで登場人物の心情を書き込みすぎているのは取材と映像が足りない証拠だと書かれていますよね。このあたり、説明の親切さと視聴者のリテラシーについて、どういったさじ加減を意識していますか。 阿武野:たとえば、私たちのドキュメンタリーは「イベント」を撮りに行こうとはしていません。薄っぺらい「撮れ高」など気にせずに、取材対象の「日常」に入れてもらうスタイルの取材なんです。だから必然的に、ほとんどが無駄打ちになってしまう。しかし、無駄の中にこそ心情の吐露があって、垣間見せられたシーンは誠にリアルなものなんです。ひたすら足しげく通うことの意味が、映像の中に必ず出てきます。 取材が足りないと、葉っぱが揺れている映像に「主人公は迷っていました」などとナレーションで心情を書き込む。白けますね。勝手に他人の内心を文字してしまうのはどうかなと思います。はっきり言うと、作り手の物語への強引な誘導ですよね。そこには「意図」があからさまに出してしまう、下品な作り方だと私は思います。 私は、ナレーションを入れるかどうするか考え抜く。たとえば『人生フルーツ』(※)のナレーションは樹木希林さんにお願いしましたが、あれはナレーションというよりも「呪文」です。希林さんが神様と人間の間に浮遊していて、そこからふわっと言葉を発するみたいなイメージで希林さんの声を降らせている。「名張毒ぶどう酒事件」シリーズのナレーションは仲代達矢さんですが、こちらは地底から重低音が響いてくるような慟哭のイメージ。言葉は研いで、研いで、ちょっとだけのせる。 ※『人生フルーツ』 かつて名だたる団地を設計した建築家・津端修一(90歳)とその妻・英子(87歳)が送る日々の生活、豊かなスローライフを追ったドキュメンタリー。