見る人を信じているコンテンツが強い。「過剰なわかりやすさ」は作り手の惰性【鈴木おさむ×阿武野勝彦】
見る人を信じているコンテンツが強い
鈴木:もはやナレーションという名のメッセージですよね。そういえば、こないだ『探偵!ナイトスクープ』の年末スペシャル回に呼ばれて出演したんですが、改めて見たら、あの番組って本当にナレーションがないんですよ。本当に現象だけで見せていく。すごい根本の根本を見せられた気がしました。その題材を取り上げているスタッフの強い気持ちは感じるんですが、それを安易にナレーションで伝えようとしない。剥き出しのままで見せる。これって本当に大切なことです。 僕、『探偵!ナイトスクープ』は「毎週行くスナック」だと思うんです。毎週行くスナックって、毎回特に事件も起きないけど、行ったら心地いいじゃないですか。そういう中で、時折とんでもない事件が起きたりする。 ――阿武野さんの、「無駄打ちの中にときどき、心情が吐露される瞬間がある」のと一緒ですね。 鈴木:なんだかテレビはある時から、とんでもない事件を毎週起こさなきゃいけないんじゃないかと思いすぎてるんですよ。「居心地の良さ」でもうちょっと見せることもできるはずなんだけど、それってものすごく難しい。だから、『探偵!ナイトスクープ』がやり続けてるのはすごいなと思いました。 阿武野:作り手が、見る人を信じてるから、できるんですよね。 鈴木:それは絶対にありますよ。 阿武野:観客は、作り手である自分たちより理解力があるかもしれない。だから私はいつも言ってるんです。「自分たちが教えてやる」みたいな啓蒙主義に立つのはやめようよ、と。見る人は決して「蒙(物事をよく知らないこと)」じゃない。自分たちよりよっぽど理解力がある人だと思ったほうがいい。そこに立たないと、ちゃんとした映像作品はできないですよ。観客を「蒙」扱いしているから、ナレーションが過剰になったり、説明過多になったりする。徹底的に見る人を信じましょうよ、と。 鈴木:『探偵!ナイトスクープ』は2023年に、すごい名作と言われてる「抱き続けた性への違和感…凄腕投手が挑む『最後の140キロストレート』!」という回を放送しました。依頼者が、ずっと野球をやってきた18歳の大学生で、生物学的な性は男性だけど性自認は女性なんですが、やっぱり野球は大好きなんです。ただ、やり続けると体が男っぽくなってしまうことに耐えられなくなり、女性ホルモンの投与を考えるんですが、その前に一度も出せたことのない140キロの球を投げたいという依頼でした。 その子に小さい頃から熱心に野球を教えていたのはお父さんなんですけど、最後にその子の投げる球を受けるキャッチャーとして、そのお父さんが登場するんです。我が子が性自認で悩んで学校に行かなくなったときもちゃんと向き合って、好きなように生きればいいと言ってくれた人。その彼が、最後の球を受ける。 『探偵!ナイトスクープ』がドキュメンタリーかどうかはいろいろな意見があると思いますが、僕はドキュメンタリーとして見ていました。それで、普通だとお父さんがキャッチャーになったときに、彼の感情をナレーションで入れたくなるんですよ。だけど、一切入ってなかったんです。ナレーションを入れないことで視聴者に想像させた。それによって、より泣ける作りになっていた。まさに、見る人を信じていたわけです。