見る人を信じているコンテンツが強い。「過剰なわかりやすさ」は作り手の惰性【鈴木おさむ×阿武野勝彦】
「余白」のないコンテンツが増えている理由
阿武野:見ている人が考える「間」を、私は「余白」と呼んでいます。無音で長尺のシーンもそうですが、一見して「長い」と思われるようなくだりでも、長さがもたらす豊かな余白があると、見てる人はいろいろと考える。 ――わかりやすい説明の多い番組が増えているのは、視聴者がそれに慣れてしまって「余白」に耐えられなくなっているからなのか、あるいは元々人間は長いものを集中して見ることができないから番組の作り手がそれに合わせて作っているのか。どちらだと思いますか? 阿武野:ひとつ言えるのは、作り手たちが主体的に考えていないケースが多いということです。他局で話題になっている番組、みんなに見られている番組はこうだからこうするという発想が横行している。今は、画面の上にも横にもテロップが出ていて、何を見ていいかわからない状態になっているじゃないですか。 鈴木:バラエティ番組や情報番組におけるテロップは、1990年代以降とにかく増えました。一時期、日テレの番組はほとんどすべての発言をテロップに出していましたから。無論、信念をもってやってる人もいるけど、楽だしなんとかなるからと思ってやってる人もいる。 阿武野:それについて作り手たちはどう思っているのか、本人たちもわからなくなってる気がするんですよ。私の前の世代の人たちは、「画面を汚すな」って言っていましたが。 鈴木:僕はまさに画面を汚すことをたくさんしてきた人間ですが、ものによって違っていいと思います。たとえば、クイズ番組で解答者が考えている間もずっとノーカットで追い続けるって無理じゃないですか。もたないですよね。『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』では、今の視聴者は一問一答を見ていられないと思って、「プレッシャーSTUDY」という企画で画面内に問題を10個同時に出しました。頭のいい人は先に解くだろうし、それでもつんじゃないのと。 一方で、トーク番組では、事前に質問アンケートを何十個もタレントに投げておくんですが、現場でそのうちの何かの話題がめちゃくちゃ跳ねたときに、「その話題で15分まるまる使う」みたいな大胆なジャッジを、ディレクターやプロデューサーが臨機応変にできなくなっていると思います。 阿武野:作り手はもう一度原点に戻って、自分たちが本当はどういう表現をしたいのかを、1本1本の番組でひとりひとりが考えて実践していく以外ないんじゃないでしょうか。「こうあるべき」というのはひとつもなくて、ただもう、表現する側が「こうしたい」と強く思うことがまず大事なのかなと。 ◇第3回に続く(1月12日に配信予定)。第3回では、物議を醸す作品を世に放ってきたふたりが、リスクとの向き合い方について語り合う。 『いもうとの時間』は2025年1月4日(土)よりポレポレ東中野、ヒューマントラストシネマ有楽町にてロードショー!
稲田 豊史(ライター、コラムニスト、編集者)