「ホモ・ヒストリクスは年を数える」(3)~元号の世界的位置づけ~ 独自の紀年法を持つことの重要性
自国通貨と世界基軸通貨との類似性
自国の紀年法と世界共通紀年法の関係は、自国通貨と世界基軸通貨の関係にも類似している。外国出張の時、私はいつも1万円札を数枚財布に入れたままにしておく。滞在国の現地通貨が必要になると両替所に行くが、日本円だとその場で両替をしてくれる。ここ数年はクレジットカードでほとんどの支払いが可能になったが、自国通貨を世界中で安定的に使用できる幸せは、何物にも代えがたいものだと感じる。現在はアメリカ・ドルが世界基軸通貨ではあるけれども、日本円は国際決済通貨として世界中の多くの国々で受け入れてくれる。 日本は明治以来、円という自国通貨を使い続けている。明治以降、「円の使用をやめて、ポンドやドルに変えたい」といった議論はついぞ聞いたことがない。先にも述べたように、現在の基軸通貨はアメリカ・ドルである。しかし、第2次世界大戦前の基軸通貨はイギリス・ポンドだった。世界の基軸通貨は変化するが、日本の自国通貨である円は不変である。 1973年にEC(欧州共同体)に加盟した英国は、2002年にEU(欧州連合)が加盟国共通通貨であるユーロを導入しても、頑なにユーロ導入を拒否し英国通貨であるポンドを使用し続けている。その上、2017年にはEUからの離脱を決定し、2019年3月中に議会の承認を得んとして、現在手続き中である。この先、ユーロという欧州共通通貨がどうなるかは不透明であるが、英連邦(British Commonwealth)という巨大な経済圏をもつイギリスにとって、ポンドという自国通貨は不滅である。
ホモ・ヒストリクス
連載の第1回、第2回、第3回は、世界共通紀年という概念が存在する前提には、各国や各文化圏に独自の紀年法があるということ、そして、世界共通紀年は変わるが、自国(自文化)の紀年は変わらない、ということを書いてきた。 言語は文化を支え、通貨は生活を支える。そのいずれも世界共通にすればよいという単純なものではない。同じことが、「年を数える」という方法においてもいえるという私の基本的な考え方を示した導入の部分でもあった。 これからの連載を通して、人間がどのようにして年月日を数えてきたかを、年の認識を中心に考察していきたい。次回は「ストーリーにこだわる文化と年月日にこだわる文化」と題して、東アジア文化がなぜ年月日を重要視してきたのかについて考えてみることにしたい。 著者紹介:佐藤正幸(さとう・まさゆき)1946年甲府市生。1970年慶應義塾大学経済学部卒。同大学大学院及びケンブリッジ大学大学院で哲学と歴史を専攻。山梨大学教育学部教授などを経て、現在、山梨大学名誉教授。2005~2010年には、President of the International Commission for the History and Theory of Historiography(国際歴史学史及歴史理論学会(ICHTH)会長)を務めた。主著に『歴史認識の時空』(知泉書館、2004)、『世界史における時間』(世界史リブレット、山川出版社、2009)、共編著:The Oxford History of Historical Writing :Volume 3:1400-1800 , (Oxford University Press, 2012)など。