【暴言の文学史】「自分に頭を下げさせるヤツはみんな死ね」文豪たちの〝痛快すぎる悪口〟
パリ五輪(オリンピック)や芸能人の失言をめぐり、世間を騒がせている暴言問題だが、文豪たちの暴言や口喧嘩はあまりに人間らしく、笑ってしまうようなものも多い。作品や逸話に登場した文豪たちの悪態について見てみよう。 ■文豪たちは「死ね」という表現をどう使ったか この夏、同業者の芸人・やす子さんに「死んでくださーい」とSNSでつぶやいてしまったフワちゃんが大炎上する事件がおきましたが、「死ね」とか「殺す」いう表現は、昭和中期では、文学作品の中でさえ、かなりフランクに使われていたようです。 たとえば、筆者にいわせれば「プロのダメ人間」である石川啄木。彼は代表歌集『一握の砂』の中で、気に入らない相手に「死ね」と火の玉ストレートの罵倒をしています。 「一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと」 ――たった一度でも僕に頭を下げさせたようなヤツは「みんな死ね」と祈ったことがあるよ、とでも訳せるでしょうか。おそらく啄木が頭を下げた理由は「金を貸してくれ」だと思われるのですが……。 また、無頼派作家として知られる太宰治も、最初期の名作短編『葉』では、自殺願望のある青井という登場人物に「死ねば一番いいのだ。いや、僕だけじゃない。少(すくな)くとも社会の進歩にマイナスの働きをなしている奴等は全部、死ねばいいのだ。」と発言させています。 ■中原中也の罵詈雑言を浴びていた太宰治 さて、太宰治は、酒乱の詩人・中原中也からは悪口の集中砲火、罵詈雑言の嵐を浴び、頭を抱えていたことが知られています。 泥酔した中原から深夜に自宅突入され、「ばーか、ばーか」と叫ばれたりしていた太宰ですが、ある雪の夜、なぜか太宰の家に上がり込んできた中原の相手を妻にまかせたっきり、二階でふとんにくるまったまま、下りてこようともしませんでした。 太宰は中原の人格を「蛞蝓(なめくじ)みたいにでらでらした奴で、とてもつきあえた代物ではない」と評していましたが、面と向かって言い返す勇気はないのです。中原は太宰の妻の手前、いつものように暴れるわけにもいかず、「(亭主)関白がいけねぇ、関白が」と二階にむかって叫びました。 そもそも太宰から「ナメクジ」呼ばわりされていた中原ですが、ふだんからどのように太宰に絡んでいたのでしょうか。太宰はもともと「ダダイズム(いわゆる破壊主義)」の詩人・中原中也の作品を読み、尊敬していたそうですが、中原本人との初対面から「何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって」と罵倒されています。 太宰は他人の前ではカッコをつけ、アンニュイに振る舞うクセがあったので、中原はそういう太宰の「文豪しぐさ」が気に入らず、すかさずカウンターパンチでやっつけたのだと思われます。 この後、中原から「好きな花」を問われた太宰は泣き出しそうになりながら、なんとか「モ、モ、ノ、ハ、ナ」と言ったそうですが(正直、気色悪い)、「チェッ、だからおめえは」という悪態で返されただけでした。