なぜ村上宗隆は”ゴジラ”以来の50号に到達することができたのか…失投を「打ち損じない」集中力と技術&パワー
ヤクルトの村上宗隆(22)が2日、神宮球場で行われた中日戦で3回に中日の大野雄大(33)から先制、決勝となる50号3ランを放ち、日本人選手としては、2002年の松井秀喜氏(当時巨人)以来20年ぶり史上6人目(外国人選手を含むと10人目)となる50号を達成した。また22歳7か月での到達は、1964年に王貞治氏が記録した24歳3か月を抜き史上最年少記録となった。チームは、主砲に牽引されて5-0で中日を突き放して引き分けを挟んで5連勝。なぜ今季の村上は凄いのか。そして村上自身は次なる目標を「日々成長」と語ったが、残り24試合で本塁打数はどこまで伸びるのか。日本記録はヤクルトOBであるウラディミール・バレンティン氏が2013年に打ち立てた60本だ。
「その数字(50本)に並べたのはすごく誇りに思う」
燕党に“村神”と崇められる怪物が歴史の扉を開いた。 0-0で迎えた3回一死一、三塁。マウンド上には沢村賞左腕の大野雄である。村上は「なんとか先制点を取りたいなと思っていた。本当に最低限の仕事はしようと。外野フライでも1点入るので、なんとか外野に持っていこうという意識で打席に立った」という。 その初球のツーシームは内角高めへ抜けた。2球目もツーシームがコントロールされずヒザ元へのボール。ここで石橋は三塁ベンチを見てうなずいた。カウントが2-0となったことで、勝負か、敬遠かの指示を確認したのだろう。 3球目もツーシーム。今度は狙い通りに外角低めのボールゾーンにコントロールされ、村上のバットは空を切った。カウント2-1となって石橋はサインを出す前に、右手で拳を作り、気持ちで負けるな!と大先輩の左腕エースに伝え、ミットをまた外角低めに構えた。 勝負球は、同じコースに動かすカットボール。だが、そのボールはコントロールが制御されず、甘く入った。 目の前に差し出された“甘い果実“を村上が豪快に刈った。スロー映像で見ると、若干バットの先に見えたが、「(打った瞬間)”行った”と思いました」との感触があったという。ライトスタンドへの打球を村上は、バットを握る静かな”確信歩き”で見送った。 「いつもほどじゃないですが、いい角度で上がってくれたので”入ったかな”と思った」 結果的に勝負を決めることになった先制の3ランは、50本の大台に乗せるメモリアルアーチとなった。日本人打者では、松井氏以来となる20年ぶりの快挙である。 「この番号をもらった時から(松井氏を)目標にしていたし、その数字に今日並べたというのはすごく誇りに思う。でも、まだまだ先の目標というものを自分の中で達成できるように頑張りたい」 背番号「55」は、あの“ゴジラ“松井氏がつけていた番号。松井氏は、巨人の偉大なる”レジェンド”王氏が当時持っていた「55本」の日本最多本塁打記録を超えることを夢見て、その背番号を選び、ゴジラ=「55」が定着した。村上は5年前にヤクルトにドラフト1位指名され、仮契約した際、「この背番号は松井秀喜さんの印象が強いが、いずれは自分の番号と呼ばれるような活躍がしたい」と語り、”ゴジラ超え”の思いをずっと内に秘めていた。