『光る君へ』武闘派貴族で“天下のさがな者”だった藤原隆家が大活躍した「刀伊の入寇」の顛末
『源氏物語』の作者、紫式部を主人公にした『光る君へ』。NHK大河ドラマでは、初めて平安中期の貴族社会を舞台に選び、注目されている。第46回「刀伊の入寇」では、旅に出たまひろ(紫式部)が大宰府を訪れる。大宰権帥の藤原隆家とも面会し、もてなしを受けるまひろだったが……。『偉人名言迷言事典』など紫式部を取り上げた著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部) 【写真】平安時代最大の対外危機「刀伊の入寇」時に藤原隆家が指揮を執った大宰府政庁跡 ■ 異民族が来襲して殺人や放火を繰り返した「刀伊の入寇」 鎌倉時代中期の1274年と1281年の二度にわたり、元のフビライが日本に侵攻したことは「蒙古襲来」または「元寇」としてよく知られている。 その元寇より約250年前の平安時代中期にあたる寛仁3(1019)年にも、後に「刀伊の入寇(といのにゅうこう)」と呼ばれる異民族の侵攻があった。藤原道長が寛仁2(1018)年10月16日に、絶頂のなか「望月の歌」を詠んだ約半年後の出来事である。 今回の放送では、この「刀伊の入寇」がじっくりと描かれた。一体どんな事件だったのか。 「刀伊」とは、高麗で「夷狄(いてき)」を意味し、日本では主に朝鮮半島東北部に住む女真族(じょしんぞく)のことをいう。寛仁3年3月28日に突如、対馬・壱岐へと侵攻。約3000もの軍勢が50艘あまりの船隊で来襲してきて、各地で殺人や放火を繰り返した。 対馬島では18人が殺害され、116人が拉致された。一方、壱岐島では148人も殺害され、239人が拉致されたという。壱岐守の藤原理忠(まさただ)も殺害されている。
■ 三度にわたって異民族を撃退、大宰府に急いで報告した僧侶 4月7日、それぞれの島から脱出に成功した者が大宰府に命からがらたどり着くと、迫りくる危機を伝えている。対馬島からは国司の対馬守遠晴(とおはる)が脱出に成功。被害状況を大宰府に報告した。 そして、壱岐島からは、島分寺の常覚(じょうかく)が脱出して、大宰府までやってきた。常覚については、今回の放送で登場している。タイソン大屋演じる常覚が、よろよろとした足取りで、大宰府の事実上の長官に当たる大宰権帥(だざいのごんのそち)のもとに向かう。 「壱岐から来た! 島分寺の常覚と申す!」と騒々しく現れると、居合わせた人は呆気にとられたが、「帥様に急ぎお取り次ぎ願いたい!」という常覚の気迫に圧倒されたようだ。大宰権帥である藤原隆家との面会が許されると、常覚はこう切り出した。 「3月の末、どこのものとも知れぬ輩が襲来……壱岐の子どもと年寄りはすべて殺され……ほかの者は連れ去られました」 実は、この常覚という僧は異民族から襲撃されて、ただ隙を見て逃げてきたわけではない。島分寺に立てこもり、三度に渡って撃退に成功したというから、なかなかの武闘派だ。思わぬ抵抗に異民族たちも面食らったかもしれない。 だが、何といっても、この「刀伊の入寇」で活躍したのは、大宰権帥で指揮官を務めた隆家である。