「宝塚音楽学校を辞めて」サーキットクイーンに…央川かこは「レースアンバサダーも一緒に闘っている気持ち」「優勝したら爆泣きです」
宝塚を辞めて親子の縁が切れそうに
――そうでしたか。それにしても厳しい親御さんがよく許してくれましたね。 央川 もちろん激怒されました(笑)。親子の縁が切れたと思いましたもん。それで家を出るみたいな話にもなったんですけど、最終的には和解して。親が「16年間、言うことを聞いてくれてありがとう。やりたいことができなくてゴメンね」と言ってくれて。また仲良くやっていこう、という話になりました。 ――ご両親も「娘のためを思って」ということだったんでしょうね。それにしても息子が東大で娘が宝塚って……そんな家族どこ探してもいないと思いますけど(笑)。 央川 それで私が宝塚を辞めたということもあって、みんなで沖縄に住もうという話になりました。みんなで引っ越して、私は父の会社で秘書の仕事を始めたんです。18歳まで宝塚一筋で、社会のことを何も知らない。自分でもこれはヤバイという気持ちがあって、秘書の資格を取って沖縄で4年間、秘書をして過ごしました。 ――宝塚を脱出して沖縄で安定した暮らしを送ると思いきや、ここからまた一波乱あるということですね。まだレースアンバサダーの話になってませんから(笑)。 央川 そうなんですよ(笑)。 ――その話は後編でお伺いしましょう。 〈つづく〉
(「モータースポーツPRESS」渋谷淳 = 文)
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