「宝塚音楽学校を辞めて」サーキットクイーンに…央川かこは「レースアンバサダーも一緒に闘っている気持ち」「優勝したら爆泣きです」
生まれたときから「宝塚に入りなさい」
――さて、レースアンバサダーというお仕事ですが、だれもが簡単になれるわけではありません。少しレースアンバサダーになる前の話も聞かせてください。央川さんは身長が172cmありますが、やはり子どものころはバリバリとスポーツをしていたのですか? 央川 それがスポーツは一切できなくて、死ぬほど運動音痴なんですよ。走るのは50メートル走が11秒くらいかかって余裕でビリ。ボールは投げられないし、水泳でクロールをしたら水面から顔が出ない。体育の授業は本当に大嫌いでした。ただ背だけは家族みんな高くて、母も私より1センチ高いんです。 ――なるほど。それで小さいころは何をしていたのですか? 央川 歌やダンスを習っていました。実は宝塚で活躍する親戚が3人いて、私は生まれたときから父に「宝塚に入りなさい」と言われていたんです。兄は勉強ができて灘中、灘高、東大というキャリアを歩んだんですけど、私は生まれたときからアホだと言われていて……。全部、兄に持っていかれたんじゃないかと思ってますけど(笑)。 ――親戚3人が宝塚歌劇団っていうのは驚きですね。それで央川さんも宝塚音楽学校に入るために小さいころから努力を重ねていたと。 央川 はい。学校に行く前にレッスンをして、学校が終わったらまたレッスンとか。休日もレッスンがよく入りました。厳しかったと思います。ただ、私は歌ったり、踊ったり、人前で何かするのが好きではなかったんです。だから本当に苦痛で、苦痛で……。 ――それでも宝塚音楽学校は受験して、受かったんですよね。 央川 中学3年生のときに初めて受験して、最終試験で落ちたんです。そうしたら親にこれでもかというくらい怒られました。「落ちた理由を書き出してみなさい。それを1年間で克服しなさい」と。3日間、鬼詰めです(笑)。これはもう受からないとどうにもならないと思って、がんばって翌年に合格することができました。 ――ところが、そこまでして苦労して入学した宝塚音楽学校を辞めてしまう。 央川 そうなんです。やっぱり好きになれなかったですね。でも、辞める人なんてまずいないので、最初は辞められないと思ってがんばっていたんです。そうしたら珍しく同期が1年もたたずに2人辞めて、「えっ、辞められるんだ」と思って。それで退学届を出して、学校からも親からも「もうちょっとがんばってみなさい」と引き留められたんですけど、意志が固かったので辞めました。
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