なぜプーチンやトランプは支持を集めるのか 両者の人気の背後に浮かび上がる「怨念」とは
工業文明への怨念・南北戦争とクリミア戦争
19世紀、イギリスのあとを追って、アメリカ合衆国は急速な工業化を遂げる。そこに、工業化の進む北部に対する農業社会として取り残される南部、という対立が生まれ、南北戦争(1861~65)となる。リンカーンが掲げた奴隷解放は、北部資本が南部の農園奴隷を工業労働者として必要としたという力学の上にある。 当然ながらアメリカの南部には、北からの工業文明に対する怨念が蓄積される。トランプ前大統領の支持集会には、南軍の旗が登場した。南軍旗はいまだにアメリカの、進歩主義に対する保守主義の、知性主義に対する情緒主義の、また部分的には民主党に対する共和党の、象徴としての意味を保持しているようだ。 アメリカが南北戦争へと進むころ、ロシアは南下政策をとり、クリミア戦争(1853~56)となる。直接にはオスマン帝国との戦いであったが、介入したイギリス軍とフランス軍に敗退する。中央アジアの支配権をめぐるロシアとイギリスとの長い抗争は「グレート・ゲーム」とも呼ばれ、極東におけるロシアの南下に対する日本の抵抗をイギリスが援助するのもその一環であった。 そしてアメリカでは大陸横断鉄道の建設が進められ、少し遅れてロシアではシベリア鉄道の建設が進められる。アメリカでもロシアでも、まだ残っていた遊牧民の生活様式を押しつぶす決定的な力となったのはこの鉄道建設だといわれる。二つの長距離鉄道は、19世紀の大陸を工業化する力学的象徴といえよう。 クリミア戦争以後の「西側」との長期的対立をつうじて、ロシアには工業文明の遅れに対する怨念が蓄積される。そこに資本主義を批判的に乗り越えるマルクス主義思想が登場した。変革を求めるロシア人はこの思想に魅了された。革命を起こしたのは、近代工業文明への怨念の力学であった。 当然のことながら革命後、ソビエトは有無をいわさぬ強引な工業化を推し進める。二つの大戦のあとは、特に軍事力においてアメリカと対抗し世界を二分するまでになる。その過程をつうじて、東欧とロシアには「資本主義的都市化という西からの外力」と「農村的社会主義という東からの応力」による歪みが蓄積される。プーチンは常に、この二つの力に対応しなくてはならない。