史実の安倍晴明は、超能力者というより「公務員」だった 戦う相手は「同業の陰陽師」
今年、生誕1100年を迎え、それを記念するアニバーサリー作品として『陰陽師 0』もつくられた安倍晴明。NHK大河ドラマ『光る君へ』でもユースケ・サンタマリアが演じ、注目が集まっている。創作物では「霊能力者」としてのイメージが強い安倍晴明が、実際はどんな人物なのだろうか? ■「紫式部の父」や「清少納言の父」よりは身分高め 1980年代後半から続く夢枕獏さんの人気小説シリーズ『陰陽師』の世界観をベースに、若き日の安倍晴明役を山崎賢人さんが演じて話題を呼んだ映画『陰陽師0』。美貌の霊能力者として安倍晴明を描いたのは、夢枕獏さんが日本史で最初というのは本当のようです。 しかし、史実の陰陽師・安倍晴明は霊能力者というより、朝廷で天体観測などを行い、暦づくりをする陰陽寮に勤める役人、つまり「公務員」でした。 史実の安倍晴明の最終官位は「従四位下」。「従五位」以上の官位を持つ者が、朝廷に仕える役人たちの中でもとくに「貴族」と呼ばれる上位的存在でしたから、晴明は立派な貴族ということになります。 江戸時代以降、創作物の中での安倍晴明は保名(やすな)という父親と、霊狐の母親の間に生まれた神秘的な存在だと語られがちですが、史実の晴明の父は、安倍益材(あべのますき)という人物であったと考えられています。母親は不明ですが、少なくとも霊狐ではなさそうですね。 この安倍益材の最終官位は「従三位」で、上流貴族の代名詞である「公卿」の一員でもありました。つまり、役人としては父を超えられなかった晴明ですが、それでも同時代の人物である紫式部の父・藤原為時の最終官位が「正五位下」、清少納言の父・清原元輔が「従五位上」だったことを見ると、彼がかなり高い社会的評価を得ていた人物であることがうかがえます。 ■藤原道長を襲った「式神」の実態とは? 史実の晴明の占いの的中率は7割程度(通常は5割も当たれば優秀)でしたが、平安時代の貴族の中でもかなり迷信深かった藤原道長から個人的に重用される中で、さまざまなエピソードあるいは伝説を残しました。 道長の出世栄達を描いた歴史物語『栄花物語』によると、当時から「神の怪(け)は陰陽師、物の怪は験者(密教系の僧侶)」というように術者のバックグラウンドによって専門分野が分かれていたようです。 史実の陰陽師は「物の怪」とは戦わず、「神の怪」――つまり神通力を使いこなし、祟りや呪いを発生させる同業者の陰陽師と戦っていたのですね。 平安時代末に成立した説話『宇治拾遺物語』には、面白い逸話が収録されています。晩年に出家した藤原道長が、自身の邸宅に隣接する形で建てさせた法性寺に参詣しようとしたときのこと。彼が飼っていた白い犬がしきりに鳴くので、不吉な予感を覚えた道長は晴明を呼び寄せました。すると晴明の弟子筋にあたる道摩(どうま)法師から「式神」を使った呪いがかけられていることが判明したのです。 「式神」と聞くと、どうしてもわれわれは「使い魔」のような何かを想像してしまうのですが、『宇治拾遺物語』によると「式神」の一例として、2つの土器を重ねてその中に「呪」と書いた黄色い紙をひねったものを入れてあるだけの装置が紹介されています。ここでの「式神」とは術者によって呪力が込められた装置にすぎず、呪いの怪電波をターゲットに照射するというポケット型のWi-Fi装置のようなものだったようです。 このときの晴明は道摩法師を捕らえ、彼の「式神」が土中から本当に発見されました。道長は故郷に帰ることを条件に道摩法師を許していますが、ほかの説話では、「自分が呪いをこめた式神のからくりを他の陰陽師に見破られると死んでしまう」というものもありますね。陰陽道は正しくは「おんようどう」と読み、中国から風水思想を輸入する中で日本で独自の進化を遂げたものですが、なかなかに興味深い話が多いです。
堀江宏樹