J2最年長、GK本間幸司が水戸と歩んだ唯一無二のプロ人生。縁がなかったJ1への思い。伝え続けた歴史とクラブ愛
水戸ホーリーホックに所属する今シーズンのJ2最年長選手、47歳のGK本間幸司が今シーズン限りで引退する。浦和レッズから1999年に当時JFLの水戸へ移籍し、J2最多となる577試合に出場。生粋のシュートストッパーとして前田大然ら、後に代表に登り詰めた選手たちを育て、四半世紀以上も水戸のゴールマウスを守り続けてきた。唯一無二のプロ人生を歩んできたそのキャリアと、誰からも愛される理由を紐解く。 (文=藤江直人、写真=アフロスポーツ)
JFL時代を知る唯一の選手に。蘇る25年前の記憶
現役生活へ別れを告げるカウントダウンを、47歳のJ2リーグ最年長選手、水戸ホーリーホックのゴールキーパー本間幸司は、脳裏にさまざまな思い出を蘇らせながらじっくりと噛みしめている。 茨城県日立市で生まれ育ち、水戸短期大学附属高校(現・水戸啓明高校)から浦和レッズに加入したのが1996年。しかし、一度も出場機会を得られないまま、1999シーズンの開幕直後に当時JFLを戦っていた水戸に移籍した。 生まれ故郷のクラブで、1年ほどプレーして引退しようか。ノスタルジックな思いを抱いて加入してから、気がつけば四半世紀以上の歳月が経ち、JFL時代の水戸を知る唯一の選手になって久しい。 「環境がかなり変わりましたよね。僕が来たころは専用の練習グラウンドもなかったし、毎日違う土のグラウンドを転々としていました。本当にないものばかりでした。スタジアムもいまは新しくなりましたけど、当時はかなり古かったですからね。ただ、そういう時期に一緒にプレーした選手たちはすごく情熱的で、そういう方々がいるからこそいまがあると思っています」 クラブの創世記を支えた仲間たちの姿に、マインドを変えてもらった。ゴール前に野球のマウンドがある土のグラウンドにカルチャーショックを受けながらも、未来を信じて、泥だらけになって練習している姿に自分の甘さを痛感させられ、水戸のために命をかけて戦うと合流初日に決めた。 本間がゴールマウスを守った水戸は1999シーズンのJFLで3位に躍進。前年は経営基盤の不安定さや、スタジアム改修をめぐる地元自治体との連携の悪さもあって見送られたJ2昇格を果たす。 迎えた2000年3月11日。本間は水戸の守護神としてJリーグデビューを迎えた。相手は古巣の浦和。場所は思い出深い浦和市駒場サッカー場(現・浦和駒場スタジアム)。試合そのものは0-2で敗れたものの、1万8422人のファン・サポーターが見守るなかで、万感の思いを胸に秘めながらフル出場した。