J2最年長、GK本間幸司が水戸と歩んだ唯一無二のプロ人生。縁がなかったJ1への思い。伝え続けた歴史とクラブ愛
縁がなかったJ1への思い。伝え続けた歴史とクラブ愛
以来、J2リーグで歴代最多となる577試合に出場してきた。一方でJ1リーグの舞台に一度も立てないままスパイクを脱ぐ。J2で400試合以上プレーした選手で、トップカテゴリーに縁がないまま引退した選手は、サガン鳥栖や横浜FCなどで活躍した髙地系治しかいない。 J1でのプレーに未練がないといえば嘘になる。それでも水戸とともに歩み、着実に成長してきたクラブの歴史を脳裏に焼きつけ、ファン・サポーターを愛し、愛されてきた自身のキャリアには胸を張れる。9月末に行われた引退会見。本間は水戸への愛を込めながらこう語っている。 「十数年前はJ1なんて口にできなかったのが、ここ数年でJ1を本気で意識できるようなクラブになり、昇格という言葉を堂々と口にできる。それまでは降格しない、最下位にならないとばかり考えてきたのが、上を見てプレーできる。自分にとってすごく幸せな状況でした」 2018年2月からは、水戸市に隣接する城里町にある、アツマーレの愛称で呼ばれる城里町七会町民センターを練習場として使用している。天然芝2面のフィールドを有し、築16年あまりで廃校となった中学校を改修したクラブハウスが隣接する環境に、本間はうれしそうに目を細める。 「芝生のグラウンドで練習ができて、隣接するクラブハウスで食事ができる。いまは本当に恵まれているし、文字通りいっぱしのクラブになったけど、これが当たり前じゃない、という歴史をいまいる選手たちには知ってほしいし、それは僕が伝えなければいけないとずっと思ってきました」
前田大然、伊藤涼太郎、小林悠を育てたシュートストップ
もっとも、肝心のピッチ上の成績は、本間をして「本当に新陳代謝が早くて……」と苦笑いさせる。その象徴が期限付き移籍を活用した補強であり、本間が真っ先に思い出すのがいま現在はスコットランドの名門セルティックでプレーし、森保ジャパンの常連でもあるFW前田大然となる。 山梨学院大学附属高校から2016シーズンに当時J2の松本山雅FCへ加入した前田は、翌2017シーズンに同じJ2の水戸へ期限付き移籍。36試合に出場して13ゴールをあげた。無得点だったルーキーイヤーからの大ブレークを支えた一人が、シュート練習の相手を務めた本間だった。 当時を思い出すたびに、本間は「あいつ、最初は本当にシュートが下手で」と目を細める。 「シュート練習の合間に『お前、もっとシュートがうまくならないと』とよく言っていました」 水戸在籍中に20歳になった前田はその後、横浜F・マリノスでプレーした2021シーズンにJ1リーグ得点王を獲得。森保ジャパンの一員としてカタールワールドカップで、さらに今シーズンは最高峰の舞台、UEFAチャンピオンズリーグでも2試合連続ゴールを決めている。 「ただ、それ(シュートの下手さ)を凌駕するようなスピードと運動量は、当時から圧倒的にすごいものがあったし、最初に彼のプレーを見た瞬間に『こいつ、ただ者じゃない』と思いました。絶対に代表にいくと確信したくらいです。性格的にもすごく真面目な男というか、自分がこうと決めたら最後までやり抜く男なので。そういう部分も、当時から素晴らしいものがありましたよね」 前田や元日本代表のMF伊藤涼太郎(現・シントトロイデン)らの期限付き移籍組だけでなく、かつてはJFA・Jリーグ特別指定選手として水戸に所属したFW小林悠(当時・拓殖大学、現・川崎フロンターレ)らのシュート練習でキーパーを務めた本間は、ある自負を抱いていた。 「僕は生粋のシュートストッパーなんですよ。シュートを止めるだけの能力だったら、おそらく昔から日本のトップレベルにいたと思っているし、それが僕の支えでもありました。大然や涼太郎、悠をはじめ、いろいろな選手のシュートを練習で止めてきましたし、彼らが成長していくうえで、少しでも自分が何らかの役割を果たせていたら本当に幸せ者だと思っています」