J2最年長、GK本間幸司が水戸と歩んだ唯一無二のプロ人生。縁がなかったJ1への思い。伝え続けた歴史とクラブ愛
「意思を引き継ぐ」思いを抱き続けた四半世紀
ただ、シーズン中に42歳になった2019年から、出場機会が極端に減りはじめる。昨シーズンまでの5年間で出場はわずか2試合。クラブ史上で最多の1万488人が詰めかけ、ケーズデンキスタジアム水戸の周辺に大渋滞を引き起こした、11月3日のモンテディオ山形とのホーム最終戦で今シーズン初出場を果たしたが、試合は7連勝で乗り込んできた山形に1-3で敗れた。自慢のシュートストップ能力に関しても、こんな感覚を覚えるようになったと笑う。 「まだまだ普通のキーパーには負けないという自信もありますけど、それでも一番いい時期に比べると、ちょっとですけど落ちてきているのかな、というのはあります」 愛してやまないサッカーに、失礼のないような生き様をつらぬき通したい。自身の哲学に照らし合わせたときに、おのずと今シーズン限りでの現役引退という答えにたどり着いた。そして、シーズン最終戦終了が間近に迫ってきたなかで、本間は水戸での四半世紀あまりの歳月をこう振り返る。 「彼の遺志を引き継ぐ、という思いも込めてずっとプレーしてきました」 彼とは水戸の初代社長で、2008年4月に57歳で逝去した石山徹さんのことだ。日本中がJリーグブームに沸いた翌年の1994年に、水戸市内で宝石店を営んでいた石山さんは「水戸の地に、ぜひともJクラブを」と壮大な夢を抱き、フットボールクラブ水戸を創設した。 廃部が決まっていた社会人チームの強豪、プリマハム土浦との合併を経て、1997年には水戸ホーリーホックが生まれ、いま現在にいたる体制が固まった。もっとも、本間は後にこんな事実を知った。 「あの年(1999年)にJ2へ昇格していなければ、水戸ホーリーホックはなくなっていた、と」
ファン・サポーターに捧ぐ思い「最後まで最高の準備をして……」
石山さんは経営難が表面化した2001年の末に、チームの存続危機問題を解消させた後に引責辞任している。それでも、私財を投げ打ちながらも水戸を支えてきた、石山さんの尽力なくしていま現在の水戸は存在しえない。本間も「いまでも心から感謝しています」とこう語る。 「何もなかったところから自分でお金を出して、水戸ホーリーホックを作ってくれた方であり、僕よりもチームを愛してきた、本当に、本当に大事な方なんです」 自宅からアツマーレへ通う途中に、石山さんが眠る墓地があるという。 「チームに何かがあるたびに、逐一、石山さんに報告しにいってきました。ただ、(引退に関しては)まだ報告していないんですよ。シーズンが終わったら、もちろんいこうと思っています」 積もる話が山ほどあるから、もう日々のトレーニングやケアをする必要のない状況になったときに、ゆっくりと墓前に報告したい。何よりも今シーズンが終わるまでは、一選手であり続ける。 「もちろん最後まで最高の準備をして、大切なファン・サポーターから『幸司、まだまだできるじゃん』と言われながらやめる47歳でありたいですね」 最後の最後まで、これまでと変わらずに真っ赤な炎を燃やし続ける。引退後も何らかの形で、成長を続ける水戸に関わりたいと希望する本間が、老若男女の誰からも愛される理由がここにある。 <了>
文=藤江直人