誰かのハイダウェイ(隠れ家)を知ることは、その人を知ることにもつながる。六篇の「隠れ家」にまつわる物語~『東京ハイダウェイ』【中江有里が読む】
今注目の書籍を評者が紹介。今回取り上げるのは『東京ハイダウェイ』(古内一絵 著/集英社)。評者は書評家の中江有里さんです。 * * * * * * * ◆秘密にしてもいい。誰かを案内してもいい 昔ながらの喫茶店、映画館、公園……ふとした時、ふらりと訪ねる場所がある。そんな場所は自分の「隠れ家」と呼ばれる。 「ふとした」とは、心を落ち着けたい瞬間。 本書には実在するいくつかの隠れ家=ハイダウェイが登場する。六篇の短編の主人公たちは少しずつつながっていて、それぞれの「隠れ家」は他の誰かの心を癒やしていく。 学校でいじめを受けている圭太はある日、ボクシングクラスの貼り紙を見つける。大好きなゲームの主人公にそっくりな清美に、ボクシングを教わることになった。 清美は「心技体」を否定し、こう言う。 「まずは、身体を動かす。そこから技術、最後に心」 言われるがまま体を動かすうちに、圭太は自分の気持ちが変わっていくのを実感する。 圭太のハイダウェイは「ジム」だ。でもそれは入り口でしかない。トレーニングする場所はどこもハイダウェイになっていくのだ。 チェーンカフェの雇われ店長・久乃は、喫煙可を謳うことで喫煙難民となった客を集めていた。つまりカフェ自体が、禁煙社会における愛煙家たちのハイダウェイだ。 ある日、田舎から母が上京し、請われるまま自分のハイダウェイである美術館に案内する。母は一体何のために上京したのか? 何も言わずに母は帰郷してしまう。 仕事や人間関係、家族間に問題がない人はいないだろう。だけど自分のことでいっぱいになると、相手の気持ちまで気が回らない。 誰かのハイダウェイを知ることは、その人を知ることにもつながる。久乃を知りたかった母のように。 そして本書を読むことは、主人公たちの隠れ家に案内してもらうことでもある。 問題は簡単に解決しないけど、読書のひとときの癒やしが、次のスタートの後押しをしてくれる。ハイダウェイみたいな作品だ。
中江有里
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