「フェミニスト、ゲームやってる」近藤銀河さんインタビュー 安全に失敗できるから「可能性 」がある
クィアな生と、ゲームが持つ「過去の可塑性」
――「レイク」という、中年女性のメレディスが自分の人生を見つめ直すゲームが取り上げられていました。このゲームの舞台は1986年ですが、発売されたのは2021年。近藤さんはこのゲームを今プレイする体験を「クィアな女性のあり得た人生を、過去の中に作り出しながら思い出す、ゲームだから可能な行為」と書いていました。こうした「クィア・過去・ゲーム」の関係について、詳しく教えてください。 クィアな人にとって「過去」は、直線的で筋が通ったものではありません。クローゼットで(カミングアウトせずに)生活していると、過去を作り話でごまかすしかなかったり、何も言わずにやりすごすしかなかったりする瞬間や、真摯に生きるために過去を書き換えるなどして操作しなくてはならない瞬間があるんですね。そういった過去の創造的な性質と、ゲームの選択肢によって過去が変わっていく感じが結びつくと思いました。 例えばゲームには回想のパートがあることがありますが、回想なのに選択肢が出てきたりするんですよね。そうすると、操作している瞬間に過去が生まれている。過去の固定性が崩れていくんです。 こうした過去の可塑性は、ゲームの良さの一つですし、クィアな生き方と結びつくとも思います。フェミニズムの歴史でも、過去に対して想像/創造するしかない瞬間がありますよね。それは歴史修正主義と結びつきかねないものではありますが、その中でもゲームは真面目に過去を考えるための糸口の一つになると思っています。 (後編に続く) <近藤銀河(こんどう・ぎんが)さんプロフィール> 1992年生まれ。アーティスト、美術史家、パンセクシュアル。中学の頃にME/CFSという病気を発症、以降車いすで生活。2023年から東京芸術大学・先端芸術表現科博士課程在籍。主に「女性同性愛と美術の関係」のテーマを研究し、ゲームエンジンやCGを用いた作品を発表する。ついたあだ名が「車いすの上の哲学者」。ライターとして雑誌「現代思想」「SFマガジン」「エトセトラ」、書籍『われらはすでに共にある─反トランス差別ブックレット』『インディ・ゲーム新世紀ディープ・ガイド─ゲームの沼』など寄稿多数。本書が初の単著。 (文:小沼理)
朝日新聞社(好書好日)