「フェミニスト、ゲームやってる」近藤銀河さんインタビュー 安全に失敗できるから「可能性 」がある
クィア表象とゲームのインタラクティブ性
――クィアやフェミニズムの表象が登場するゲームもたくさん紹介されています。日本でも人気のゲーム「スプラトゥーン3」にはプレイヤーが描いた絵やポスターをステージ=街に貼り出す機能があり、アメリカサーバーにはフェミニズム的なポスターがたくさん貼ってあるステージがあるそうですね。 公式が用意しているのではなく、ユーザーが描いたものが街で表示されるというのが面白いですよね。フェミニストのコミュニティーがゲームの中にちゃんとある証拠だと思います。開発者による発信とプレイヤーによるコミュニティーの形成が一体となって、多くの表現が生まれているのでしょう。 ――クィアなキャラクターが主人公のゲームも多く、こんなにたくさんあるのかと驚きました。 この本で紹介しているゲームのうち9割くらいは、クィアなキャラが出てくるか主人公のゲームだと思います。私自身、自分に近かったり親しみを覚えたりできるクィアキャラクターを使えるのはすごくうれしいです。同時に、クィアでない人がクィアなキャラクターを使って、同化する体験を通して得られるものもあると思います。 ――インディーゲームにはクィアの個人的な経験を描いた作品も多いです。「ペイトンの術後訪問記」は、トランスジェンダー男性同士の交流と、胸の性別適合手術後の日常を描いたゲームでした。 ペイトンとマーカスというキャラクターの交流を描くノベルゲームなのですが、二人はトランスジェンダー男性という共通する属性を持っているけれど、その生の経験は同じところもあれば違うところもある。男性性の幅を広げるような作品でシナリオの完成度が高く、プレイしたあとは一本の映画を見たような感覚にもなりました。 ――映画やドラマでも、クィアな表象は少しずつ増えてきていますね。映画やドラマと比べて、ゲームならではのクィアな表象の楽しみ方や描き方はあるのでしょうか? まず、ゲームにクィアな表象が多いのはインタラクティブ性と結びついていると思います。大作ゲームでクィアな表象が出てきたのは、選択肢が幅広い作品からでした。選択肢の自由さを目指す一環として、クィアな選択が出てきたんです。それが広まっていく中で、自由度が少ないゲームにもレズビアンの主人公などが登場するようになったという流れです。インタラクティブな性質とクィアな表象の相性が良かったんですね。 ゲームはある意味その存在になって遊ぶものです。そこで「選択する」ということがすごく重要だと考えています。プレイしていると、「こう言われたらどう反応するか」といったやりとりや、キャラクターのクィアな人生を想像すること、あるいは自分の生きてきたクィアな人生を振り返ることが重なる瞬間があります。それはやっぱり他のメディアにはない、ゲームならではのものだと思います。