武田航平の役者人生、救われた仮面ライダープロデューサーの一言
34歳のイケメン男優、武田航平。15歳で「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」に出場し芸能界入り。20代の頃「仮面ライダーキバ」に主人公の一人、紅音也(仮面ライダーイクサおよびダークキバ)役で出演したことでも知られる。昨年から今年にかけてドラマ「ミリオンジョー」(テレビ東京系)や恋愛バラエティー「あいのり African Journey」(フジテレビ系)のスタジオメンバー、恋愛フェイクドキュメンタリー「フェイクラブ」(FOD)など活躍が目立つ。「まさかこんなに長く芸能の仕事をするとは思わなかった」という武田に、デビュー当時のエピソードから今後の展望までを聞いた。 【写真特集】一歩一歩重ねたキャリア 武田航平
あの一言がなければ俳優を続けていたかわからない
「僕がジュノンに出たのは、ちょうどグランプリが小池徹平くんの時ですね。僕は審査員特別賞をいただきました。ちょうど中学3年生から高校1年生ぐらいのときでした。3人兄弟なのですが、父親が少年野球の監督をしていた影響で、みんな野球をやるようになって、中学3年まで続けていて高校からもお誘いは受けていたのですが結局、野球より芸能界を選ぶ形になりましたね。表に立って誰かに何かを伝えるってことが、自分にとってやりたいことだったのかなって」 野球に熱中していた頃から、どこか意識は外の世界へ向いていたようだ。 「漠然とはしていましたけど、ちょうどソマリアという国が貧困に陥っていることがニュースになっていて、なぜこういう不平等があるんだろう?とすごく疑問に思っていて。ある日、野球に行くのが嫌で空を見ながらそんなことを考えていて、何か自分が人々の元気のきっかけになるような人間になれたらいいなと思ったんです」 最初は10年ぐらい続ければ自然に売れるものだとたかをくくっていたそうだが、実際に入ってみた芸能界は甘い世界ではなかった。 「簡単にはいかないことがたくさんあるんだなって痛感しました。一見、華やかな世界ですけど、やっぱり仕事は仕事なんですよね。とにかく一生懸命やるしかない、という思いでずっと過ごしてきました。そんな中で素敵な人にもたくさん出会えたし、厳しいことを教えてくれた方にも出会えましたし。自分を見失ってはいけないなって、華やかな部分を見れば見るほど思っていました」 時には壁にぶつかり、やめようと思ったことも一度や二度ではないと振り返る。 「僕は2度、仮面ライダーをやらせていただいたんですけど、『仮面ライダービルド』をやる前にディズニーランドのアルバイトの面接もあって。ディズニー大好きなので応募していたのですが、そのとき『仮面ライダーキバ』のプロデューサーさんが3番手のライダー役を『武田航平でいきたい』と言ってくださって。それがなかったら、俳優を続けていたかわからないですね。そのプロデューサーさんをはじめ応援してくれるファンの皆さまにも恩返ししなきゃいけないなと思って、作品のために生きようと思いました」